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第30章 明美ちゃん
身体が軽い。
長年、引き籠っていた徳男にとって、この身体はまるで、ゲームの中の自分のアバター「エンペラー」として、愛用のキャラを操っている様な感覚だった。
(まるで、自分が自分でないみたいだな)
そして、その速度は徐々に増していった。
「ちょっとロデム! は、早すぎんだけど」
振り落とされないように、明美は必死にしがみついていた。
そのたびに、明美の豊満な胸が徳男の背中にムニュッと食い込んできた。
(やべー、マジでヤベー。色んな意味でヤベー! だけど、今はそれどころじゃねえ)
次第に、樹海の木々がまばらになってきた。
「明美ちゃん、もうすぐ着くよ」
思わず徳男は、馴れ馴れしく呼んだ。
「は? 今、なんつった?」
「明美……ちゃん」
ポカッ
明美は、背後からその黒い頭を殴りつけた。
「いてっ」
と言っても、そのチカラはごく弱いもので、大ダメージを与えるほどではない。
「あのさー、乗せてもらってるからって、調子に乗らないでくれる?」
「あ、はい」
どうやら、まだ「ちゃん付け」はNGのようだ。
だが、徳男は悪い気がしなかった。
それまで、何の目標も目的もなく、ただただ、自堕落な生活を送っていた自分を、冗談交じりではあっても、ポカッと殴ってくれて、そして、小言を言ってくれる存在などはいなかったのだ。
父は、自分を邪魔者として扱い、目を合わすこともなく、日常的に妹だけを可愛がっていたし、母親は、邪険にこそしなかったものの、そんな父の目を気にしてか、腫物を触るように刺激せずにいた。
(考えてみれば、初めてかもしれないな。こうして、他人と肌を合わせて、二人で走るのって)
徳男は、そんな微妙な心情の変化を悟られないように、平然と走り続けていた。
知らない間に、明美は眠ってしまったようだ。少し、重くなったような気がした。
そして、ようやく樹海の切れ目に達した時。
「道に出たよ」
必死で走ってきた徳男が、ようやく樹海を抜けたと思った時。
「んーーーーー、着いたの? な、何あれ!」
富士吉田市の方向が、真夜中のはずなのに、赤々と煌々と鮮烈な光を放っている。
「え? 光は明美ちゃんに見えないはずなのに?」
「だから、明美ちゃんて呼ぶなって! 今度明美ちゃんって読んだら、本当に首を絞めるからね!」
明美が唇を尖らせながらもう一度、ポカリと徳男の頭を軽く叩いた。
だが、徳男の肩は細かく震えていた。
「あ、いや。そ、それより……。あ、あれ……」
再び、徳男が富士吉田市の方向を見た時。
「え……? 何あれ? 燃えてるの……?」
明美は、その大きな眼をカッと見開いた。
「これ、コダマが発してた光と全然違う。本当に本物の炎だ……!」
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