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第1話 円覚、クライアントになる
雨の中をバシャバシャと音を立ててお参りをしている一つの影がある。よくよく見てみると、頭はツルッと毛が無く、大柄で猿のような面相をしている。雨だからかもしれないが、少し焦っているように急ぎ足でお参りをしている。ここは神奈川県にある水天宮系の神社である。
「妙見様、あめのみなかぬし様、どちらでも構いません。私の願いを聞いて下さい」
水天宮系の神社の祭神にアメノミナカヌシが祀られていることを知っているのも珍しいが、妙見菩薩とアメノミナカヌシが同一とされていたことまで知っているのは、なかなかに珍しい。アメノミナカヌシご指名という、これもまた珍しい参拝客なので、気分もいいし、興味もあるので、顔を出してみよう。
「どうされましたか?アメノミナカヌシ様にご用ですか?」
「はい!どうしても相談したいことがありまして、日本全国の妙見様、アメノミナカヌシ様が祀られている神社やお寺に参拝しているのですが、なかなかお会いできなくて・・・」
皺の多い猿のような面相がそのように見せているのか分からないが、余程困っているようである。いや、このものに残されている時間はもうほとんど無いと言ってよい状況のようだ。肉体はもちろんのこと、魂自体が風化してきている。おそらく、この者が言う願いを聞いたら、魂は消えて無くなるであろう・・・。
「余程、お困りのようですね。どうされたのですか?」
「貴方は、あめのみなかぬし様ですか?そうですよね?」
話しかけられたからなのか、少し元気が出たようで、目に光りが宿った。しかし、アメノミナカヌシ様ですよね?と言われるのは、もしかしたら、初めてかもしれない。ほとんどの人が私のことを知らないのだから。もしかして、知り合いなのでしょうか?
「なぜ?そのように思うのですか?」
「貴方が、人ではないことくらいは誰でも分かると思いますが、昔、住んでいたお寺の仏さんが妙見菩薩さんだったのですが、何だか懐かしい匂いがしまして・・・」
「お寺に住んでいたということはお寺のご住職だったということですか?」
「もうずいぶん前にはなりますが、住職のような事をしていました。」
住職をしていたではなく、住職のような事をしていたとは、妙な言い方だが、はて?お寺に知り合いがいたでしょうか?明治時代に神仏分離がなされてからは、私のアルバイト先は一貫して神社にしているのだが、会ったことがあるのでしょうか?
「円昌寺という寺です」
円昌寺・・・。正に、明治時代の神仏分離令の時の、妙見菩薩として祀られていたお寺だ。しかし、あのお寺はお寺というか不憫なものたちの避難所という感じの場所で、最後も廃仏毀釈の憂き目にあって潰れてしまったはずだ。もう百五十年も前の話しになる。
「その寺では円覚と呼ばれていました。元々、住職ではなかったのですが、そこにいた者たちが勘違いして、私を住職にしてくれました。私のような者を住職なんて笑ってしまいますが、悪い気もしなかったので、その気になってやっていました」
すっかり元気になったようで、よく喋る。元々、お喋りな性分なのだろう。しかし、魂の風化は止まっていない。もう、魂を還すこと。この一生を終えることは覚悟の上なのだろう。この覚悟の重さと目の前にしている人物のキャラクターの乖離に違和感を覚えるが、何か事情があるのは間違い無さそうだ。話しをしたそうではあるが、全てを話すことに躊躇しているような、願いはあるが、隠したいことがあるのか・・・?
「何か訳がありそうですね。お話し聞かせてもらえますか?」
私は、彼の魂の言葉を聴くことにした。彼は、私の言葉を聞いて、少しの間を置いてから返事をし、ゆっくりと話し始めた。
「はい、お話しします。まず、私は猿の化物です」
かつて、円覚と名乗っていた猿の化物は、私のクライアントになった。
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