1.あの日出会った生意気な君

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1.あの日出会った生意気な君

「…………ちゃん」 「……いちゃん、起きて」 「ねえ明お兄ちゃん、起きてってば」 身体を揺すられながら、小さく囁くような言葉で名前を呼ばれた俺は、眼を少しだけ開けた。 真っ暗な部屋の中に、人影のシルエットがぼんやりと確認できる。眼を擦り、パチパチと瞬きをすると、眼が暗闇に慣れてきたのか、その人影の詳細が朧気ながらに見え出した。 それは、女の子であった。 ふわりとしたピンクのボブヘヤに、子猫のような愛らしいつり目、そして時折見えるチャームポイントの八重歯……。 「……美結か。どうかしたのか?」 俺は、まさか彼女が訪ねて来るとは思ってもみなかったので、内心かなり動揺していた。そのせいで眼も冴えたし、若干緊張を含んだ声色になってしまっている。 美結は、なんだか気恥ずかしそうに俺を見つめながら、さっきよりさらに小さく、こう呟いた。 「あの……ちょっとさっき、怖い夢見ちゃって……」 「…………怖い夢?」 「……うん」 「どんな?」 「え……いや…………その………」 「…………………」 「…………………」 「……話聴こうか?明かり、つけるぞ?」 「あ、ううん。違うの。そうじゃなくて……」 「…………じゃあ、とりあえずベッド入るか?寒いだろ?」 「う、うん」 美結はなぜだか嬉しそうにしながら、俺のベッドへと潜り込んだ。そして、身体を丸めて俺のそばへと近寄ってきた。 「ベッド、狭くてごめんな」 「ううん、いいの」 「……怖い夢ってのは、どんな夢だったんだ?」 「…………あの、お兄ちゃんがね?」 「うん、俺が……?なんだい?」 「…………………」 「……なんだ?俺が美結に酷いことしたりしたのか?」 美結は首を横に振って、「そんなことあるわけないじゃん」と言った。なんだか、その光景に思わず微笑んでしまった。まさかあの美結が、俺のことを【明お兄ちゃん】と呼んでくれたり、酷いことはしないと信じてくれたりするようになるとは……。いささか、感慨深いものを感じるよ。 「あの……お兄ちゃんが……」 「うん」 「…………………」 「…………………」 俺はいつものように、美結の言葉を待った。【あの日以来】、美結の言葉を絶対に急かさないようにしようと心がけている。 だから俺は、静かに待った。その間、俺は彼女の肩を優しく撫でた。少しでも安心できると、喋りやすくなるだろう。 「お兄ちゃんがね、いなくなっちゃうの」 「俺が?」 「うん」 「どうして?」 「……夢の中で、朝起きたらお兄ちゃんがいなくて。お兄ちゃんお兄ちゃんって声をかけても、どこを探してもいなくて。勇気を出してお外に出て、街をたくさん歩いたけど、やっぱりいなくて……」 だんだんと、美結の声が震えてきた。いわゆる涙声というやつなのだろう。俺は彼女を抱き締めて、頭から背中にかけて優しく撫でた。 「……見つかったのかい?その夢で、俺は……」 美結は首を横に振った。 「そうかそうか。なーに、ただの夢さ。何も気にしなくていい」 「ほんと?」 「この家を出る時は、二人一緒に出るって、約束したろ?」 「……うん」 「大丈夫、何も気にしなくていい」 「…………………」 美結は、俺を抱き締め返した。顔を胸にうずくませているので、胸の辺りに……涙の雫がついたことを、服の濡れ具合からなんとなく察した。 俺は壁掛けの時計に眼をやると、現在、夜中の2:17をさしていた。 「どうだ美結、寝れなそうだったら、俺とゲームでもするか?」 「ううん、いい。お兄ちゃん、明日も学校あるから……」 「気をつかなくていいって。確か11時から寝始めたから……少なくとも三時間は寝れてる。これだけ寝てりゃ平気だよ」 「…………………」 美結は少しだけ間を開けてから、やはり首を横に振った。そして、か細い声でこう答えた。 「このまま、お兄ちゃんと眠りたい。その方が安心する」 「そうか。よし!じゃあ寝るか」 「うん」 「お休み、美結。また怖い夢の続きを見たら、お兄ちゃんを起こして良いからな」 「……うん」 暗闇の中、小さく愛らしい俺の妹は、「ありがとう」と言ってくれた。 まさか、あの美結がこんな風になるなんて、半年前は思いもしなかった。 俺は、美結と初めて会った時のことを思い出しながら、暗く深い眠りについた………… 「なんか、冴えない感じー。私、この人がお兄ちゃんなの嫌だ」 美結との初対面は、最悪だった。 俺の親父は、美喜子さんという方と再婚した。美結は、その美喜子さんの連れ子だった。 初めて会ったのは、ウチのリビングだった。一軒家を持っていたウチの家に、美喜子さんたちが住む形となったのだ。 その日は2月14日、バレンタインデーだったことをよく覚えている。 高校一年生の俺と、中学二年生だった美結。俺は、まさか妹ができるなんてと内心ワクワクしていたが…… 「髪もなんか特徴ないしー、顔もフツーだしー、なーんか全体的に60点って感じ」 なんとまあ生意気なこと。頬杖をついて、人を舐めきった目をして俺を見つめる。年下相手に大人気ない話だが、俺もさすがにその態度にはイラっとした。 「ちょっと美結!いきなりなんてこと言うの!」 見かねた美喜子さんが注意するが、さすがにお転婆娘、この程度じゃ改善しない。 「今日バレンタインだけどさー、チョコとか貰った?」 「いや、ひとつも……」 「だよねー、絶対貰えなさそうだもん。ていうか、一生独身そう」 「美結!いい加減にしなさい!」 「だってホントのこと言っただけだもん。そういうこと言われたくないならさー、もっとカッコよくしたら?」 「はあ……。もう、この子ったら」 美喜子さんが親父と俺の方を見て、「ごめんなさいね」と謝ってきた。 「この子、前の旦那……実父に甘やかされすぎちゃってね……。この通りの有り様なの」 「は、ははは!まあまあ、若い内はそんなもんさ!なあ明!」 「…………………」 「あ~あ~、せっかくお兄ちゃんができるっていうから楽しみにしてたのに、これがお兄ちゃんじゃなあ~」 美喜子さんは、またしても美結を怒った。親父は親父で、冷や汗をかきながら苦笑している。 俺の生活は、この生意気な妹のせいで、面倒なことたくさんあるんだろうなあ~……と、心の中で深いため息をついた。
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