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序章 拝啓、
フィオナは目の前の人物から早く逃れたい気持ちでいっぱいだった。
「シャ、シャルル大公殿下っ…私などお気になさらず! 早くあちらの茶会の席へお戻りください!」
雲ひとつない快晴の空の下、春の温かな日差しの元で揺れる色とりどりの花たち。
リーデル貴族学院が誇る美しい庭園の中、まるで人目を避けるような奥まった端の場所に彼らはいた。
視点が定まらずに左右に揺れる若葉色の瞳、蒼白になっていく顔色…フィオナのあまりの狼狽えようにシャルルは思わずクスッと笑うと彼女に歩み寄っていく。
「僕が僕の騎士を気にかける事は当然のことだよ」
フィオナが一歩後退すると、シャルルも一歩前進する。保たれていた二人の距離は、フィオナの背に校舎の外壁が立ちはだかったことで詰められていった。
「み、皆様…いえ…お美しいレディ達がシャルル殿下をお待ちですよ…?」
去年、16歳となり成人式を迎え皇帝からリュカディオン公爵を叙され皇子から大公となった彼と外壁に挟まれて、ついに逃げ場を失ったフィオナはまるで怯える子ウサギのように目の前に迫るシャルルを見上げて言った。
「…どうしてそんな事を言うの?」
シャルルは彼女とぶつかる前に立ち止まりフィオナの顔を覗き込むようにして顔を近付けると、悲しそうな顔で小首を傾げる。
「あ、あの…」
この世で最も美しい主君の表情に影を落としてしまったと、フィオナが罪悪感から一瞬だけ警戒心が緩んだ瞬間…。
「フィオナ」
シャルルがうっとりとした表情を浮かべ甘い声で彼女の名前を呼び手を取ると、艶かしい動きで指と指を絡めてきた。
「!?」
再びフィオナは警戒するのだが、もう遅い。シャルルに捕まってしまった彼女は、彼の手から逃れられはしないのだ。
「僕はもう、君よりも背は高いし力だって強い。身体も鍛えているし、皇族としての品位と知識を兼ね備えているよ」
確かに、フィオナが初めてシャルルと出会った時の、あどけなく笑う愛らしい天使の姿はそこにない。あるのは、色気の含んだ甘い笑顔を浮かべて誘惑する美貌の男神の姿だ。
「左様でございます…! シャルル殿下はこの国一番の婿候補です!」
シャルルの輝く碧眼の強い眼差しに見つめられながら、フィオナは居心地悪そうにぎこちなく彼の言葉に同調する。
シャルルは満足そうに笑って「だよね。僕ほど素晴らしい婿はいないと思うよ」と自信に満ちた表情で言った。
「…それなのにフィオナは僕に別のレディを当てがおうとする」
十分に近い距離だと言うのに、シャルルは更にグッと顔を近付けてきてはフィオナを見下ろした。
「一度でも欲しいと思ったことはない?」
「えっ…!?」
シャルルが天高く昇る太陽の光を遮って立つので、フィオナの目にはまるで彼に後光が差しているように映る。
光に透かされた綺麗な金髪、高貴なレディ達よりも美しい顔立ち、最近厚くなってきた胸元、節が目立ちはじめた大きな手、数年前には無かった大きな喉仏…そして自分を切実な欲望で見つめる青い双眸。
ごく…と、思わずフィオナは生唾を飲み込んだ。
シャルルがフィオナのストロベリーブロンドの髪を一房掴み持ち上げて軽くキスを落とす光景を見て、フィオナは腰が抜けそうになりながらも何とか耐えては死を覚悟した。
(ドキドキしすぎて心臓が痛い…! 私の死因はきっと、一生分の鼓動を打った末の心肺停止だわ!)
シャルルが微笑んだ。ストロベリーブロンドから手を離し、その髪が宙へ舞うように落下する間に彼の大きな手はフィオナの頬に優しく触れる。
「僕のこと、手に入れたいって…思ったことは?」
シャルルが顔を近付けてきて、彼の唇がフィオナのそれと今にも重なろうとする瞬間———。
———の、約3年前に遡った同日、もうすぐ16歳になろうとするフィオナ・アンダーソン男爵令嬢は小さなキャリーバッグを片手に、人生初めての帝都へ降り立っていた。
目指すは皇帝達の住む城へ。
「私の人生を取り戻すんだ…絶対に、合格してみせる…!」
そんな決意を胸に、エルディカルド帝国の天使シャルル・ド・リュカディオン第二皇子の専属騎士を決める試験へ望むのであった。
—序章 拝啓、・終—
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