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フィオナは顔を赤らめ緊張した面持ちで、地面で伸びている誘拐犯の様子を確認する。
どうやら気を失っているようで、ピクリとも動かない。
(ヴァンさんが応援に来る前に捕縛しておかないと…)
そう思い、シャルルを見上げて言った。
「そ、そろそろ下ろしてください…」
するとシャルルは少しだけ考えてから「ねぇ、任命式のパーティーで僕がフィオナに言ったこと、覚えてる?」と尋ねてきた。
何の話だろう? と、フィオナが小首を傾げて彼を見つめていると…シャルルが急に顔を近付けてきて、フィオナの耳元で囁いた。
「二人きりの時は、『シャシャ』と呼んで?」
なんて事を甘い声で囁かれたフィオナは、顔を真っ赤にして目を大きく開きながら固まってしまった。
「そしたら下ろしてあげる」
そんなフィオナを楽しそうに眺めて笑うシャルルを、フィオナは『小悪魔』だと思った。
「で、殿下…お戯れを…」
そう返すことだけで精一杯で…。
「フィオナ、違うでしょ?」
「っ……シャシャ…」
シャルルが言い直すように目で訴えてくるから、フィオナは戸惑いながらも小さな声でシャルルを呼ぶ。
するとシャルルは約束通りにフィオナを地面に下ろしてくれた。
「フィオナ、覚えててね。僕の事を『シャシャ』と呼んでいいのは、世界で君だけだってこと」
ニコリと笑うシャルルに、フィオナは思わず泣きそうになった。
(…どうして私をドキドキさせるのですか…)
どうかこれ以上は自分の心を掻き乱さないで欲しい。そっとしておいて欲しい。
(貴方は私の手の届くような方じゃないから…だから…)
そこでフィオナはハッとして、そして俯いた。もう、認めるしかないのだ。こんな事を考えている時点で、自分は…。
「フィオナ?」
暗い顔をして俯くフィオナの様子を心配して、シャルルが顔を覗き込んでくる。フィオナは顔を上げて、目の前の綺麗な少年を見つめた。
(私…シャルル殿下の事が、好きなんだ…)
自覚してしまえば、もうこの気持ちを止められそうにもないとフィオナは思った。だから絶対に、誰にもこの気持ちを知られないようにしなければ…と、思ったのだ。
(騎士が主人に恋をするなんて、滑稽だ)
世の中にはそんなロマンス物語があるけれど、あれは物語の中だから美しいのだ。現実の身分差の本気の恋なんて、ただお互いを破滅に導くだけなのに…。
自分のこの恋心がバレた時、きっと自分はシャルルの護衛から外されてしまうのだろう。
もしそうなれば、自分がアンダーソン男爵位を継ぐ未来も閉ざされてしまう。それは絶対にダメだ。
今の自分はシャルルのちょっとした仕草にも翻弄されている。恋心を抱く自分と、騎士の誇りを抱く自分の狭間で、全てが中途半端になっている。結果的にフィオナはシャルルの護衛任務をしっかり果たせなかった。
これじゃ駄目なのだ。自分のためにも、シャルルのためにも…。何より、自分が自分を許せない。
「……シャシャ」
フィオナは覚悟を決めて、顔を上げた。
シャルルが優しい笑顔を浮かべてこちらに目を向けている。彼女は緊張しながらも、続きの言葉を言った。
「私を、魔獣討伐前線へ送ってください…」
『魔獣討伐前線』、それはこのエルディカルド帝国と隣国の間にある『黒い森』と呼ばれる大森林地帯のことである。
帝国では、魔獣大発生を未然に防ぐために、予め帝国の騎士を常駐させて随時討伐に当たっているのだ。
(私は自分の人生を取り戻すために全てを賭けて帝都にきたんだ。騎士としての自分を大切にしたい。…それに、こんな中途半端な自分の浮ついた心ではなく、未熟だと自身を恥じたりしない『私』で、貴方の側にいたい)
魔獣討伐前線で誰もが認める実績を残し名を上げて、フィオナは自分に自信を持ちたいと考えた。…きっと、このままシャルルの側の優しい世界にいても手に入れられない、力の…主人を守る力のために。
だから彼女はシャルルに、そこへ行きたいと申し出たのだった。
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