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2階の自宅でシャツや黒のパンツ、エプロン全てを着替え、再び店へ戻った晴翔。
その間、男は店に興味を持ったのか、うろうろしながら本棚を眺めている。
出入口ドアは窓側。そして、窓から街路樹を見渡せるカウンターが5席。店内中心部にテーブル席を4席設けている。こちらの椅子は1人掛けソファタイプだ。それぞれの席は、向かい合う形で2人までの利用。各テーブルごとの空間を大事にしたい――そう思い、周囲に観葉植物を置いていた。目隠しの役割を担っている。
そして、入口正面と左奥の壁一面が本棚。
男は着替えをしておらず、少々濡れたままのワイシャツ姿。両腕の刺青も健在。背中は、素肌がうっすらと見えている。背中に迫力ある刺青を持っているイメージだが、男は違うようだ。
「本かと思ったら、ノートが結構あんな」
「ここは“night diary”と申しまして、日記を読むことができる、カジュアルなバーとなっております。提供させて頂いているのは、先程申し上げた通り、ノンアルコールカクテルです」
晴翔はコンセプトを説明した。
店内の日記全て寄贈されたもの。その後、時間を見つけて下読みをし、ジャンル毎に陳列している。
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バーカウンター前には、厳選した新品の日記帳を販売していた。日記に触れたことで、自分も書いてみたいと思う者いる。そのため、物販の売り上げも好調だ。
「ノルアルなら、昼間でもよくねぇか? そっちのほうが客入るんじゃねぇの?」
「日記は、主に夜に書くかなと思いまして。家族が寝た後や、就寝前。同じ時間帯で、より日記の世界に入り込めるように、夜8時から深夜1時までの営業となっております」
仕事から帰宅途中のひと時。
なかなか眠れない夜。
子どもを寝かしつけ、夫に託して訪れた、妻のリラックスタイム。
様々な理由で訪れた客は、店内でほっとひと息。自身と同じ境遇の日記を眺めたり、別世界を生きる日記を眺めたりと、思い思いの時間を過ごすのだ。
「日記なんて書いたことねぇな。ノートと言ったら、いろいろやりすぎて教師にボコられて、謝罪文書かされたくれぇだが」
晴翔は相槌が浮かばなくなり、思わず“あー”と声を出していた。
「あー、じゃねぇよ。 “だろうな”って納得すんな!」
晴翔は口元を抑え、クスクスと笑ってしまう。まさかツッコミが返って来るとは思わなかったのだ。
天候が悪く、店仕舞いしようかと悩んでいた矢先に、突如現れた元ヤクザ。未だその名残はあるものの、どこか親しみを感じてしまう。
「アンタ、歳は?」
「45です」
男はおっと声を漏らし、驚きの表情。
「同い年だな。生まれはここら辺か?」
「はい。蒼山中高校です」
男の顔が引きつり、への字口にしている。あからさまな不快感を露わにしていた。
「出た、出た。中高一貫進学校。俺は苫里高校」
「あー……」
「だから、その納得の“あー”やめろ。 “行けるところは、バカでも入れる荒れた男子校ぐれぇしかねぇよな”……じゃねーんだよ」
「ちょっと、そこまでは言ってませんよ」
再び晴翔は笑ってしまう。
「笑い事じゃねぇよ。うん十年ぶりに戻ってきたら、母校がねぇんだぞ。青春が綺麗さっぱり無くなってたんだぞ」
苫里高校は廃校になり、すでに取り壊しされていた。そして現在。跡地に広大な“ひまり公園”が出来上がった。芝生が多く、遊歩道や遊具エリア、噴水も設置。イベントが開催されると噴水はライトアップされ、人々の憩いの場所となっていた。
荒れた土地が浄化された――と、当時を知る者は口々に言う。
「足を洗ったっていっても、そもそもいろんな連中と縁を切ったも同然だからな。地元に戻ってきても行くアテがねぇ。母校はねぇし。実家もねぇし。華紋会では若頭のポジションだったが、いざ離れると下っ端よりも下じゃねぇか。……情けねぇな」
すると、男は窓へ顔を向けた。どこか寂しげな表情だ。
止む気配のない大雨と強風が、またしても窓を叩いている。振動でブラインドも僅かに揺れていた。
「ある程度覚悟はしてたが……現実と世間ってのは厳しいな……」
ライトに照らされた横顔。色気漂う雰囲気を醸し出し、男は嘆いている。
攻撃的なイメージがまたしても払拭され、晴翔は同情してしまっていた。刺青の有無で制限される場所は、今の時代でも変化はない。それは差別ではなく区別に近いものだ。ましてや、暴力団となれば誰もが警戒してしまう。
――心を入れ替えたとしても、過去はずっと付き纏い、息苦しさを感じてしまう。
そう思った晴翔は、生唾をごくりと飲んだ。意を決して言葉を放つ。
「ネットカフェも大変でしょう。もし、住む場所にお困りでしたら、ここに住みますか?」
「はぁ!?」
店内に男の声が響いた。豪雨に負けぬほどの圧がある音量だ。
「初めて会う相手になに言ってんだ。馬鹿じゃねぇのか!? 同級生だが、俺は元ヤクザ。アンタとはある意味次元が違う生活していた男だぞ。ここに住む!? はぁ!?」
男は何度も首を振り、呆れ顔を見せている。
「裏で生きてきた俺は、表立って生きられねぇ運命なんだよ。自業自得だし、覚悟ありきでその道選んでいる。だからこそ、俺はこんな洒落た店に居てもいい人間じゃねぇんだよ。表に居ちゃいけねぇ人間なんだよ」
「そう思っているのは、貴方だけなのではないでしょうか。私は表に居てもいいと思いますし、元ヤクザでも貴方の心は温かく、陽だまりのような優しさを感じます」
穏やかな声色で告げた晴翔。その顔は、皺を複数増やした笑みだった。
くしゃりとした表情に、男は思わず髪の毛を搔きむしり、天を仰いだ。オレンジ色のライトを見つめながら思う。
――なんだよ陽だまりのような優しさって。どっからどう見てもアンタのほうだろ。可愛い顔しやがって……。
「なぁ、アンタの名前聞いてもいいか」
「日堂晴翔と申します」
「俺は影田幸一。敬語やめてくんねぇか。変な感じがする。俺のことは好きに呼べ」
「幸一さん……幸一くん。コウくん……では、ダメ……でしょうか。あ、ダメかな……」
「なんでもいい」
幸一は晴翔に顔を向けた。変わらず目じりを下げ微笑んでる。
「本当に警戒しねぇの? 元ヤクザだぞ」
「コウくんはなんとなく大丈夫かなと。直感ですけれど。まぁ……私も雨に濡れておかしくなったのかもしれませんね」
フッと幸一は笑みを零し、右手を差し出した。流れるように晴翔の左手も伸び、握手を交わす。
「ありがとな、ハルト。これから世話になる」
「こちらこそよろしくね。コウくん」
5月15日水曜日。時刻は0時45分。
止まない豪雨が降り注ぐnight diaryでは、ノンアルコールカクテルバーのお人好しマスターと、行く宛のない元ヤクザの共同生活が始まろうとしていた。
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