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(帰ったら、すぐシャワーを浴びて、それから夕飯の準備を……)
ぼんやりと信号が青になるのを待ちながら、遥香は帰宅してからの段取りを考える。
今日の夕飯は、厚揚げともやしをたっぷりと入れたカレーを作る予定だ。
お肉も入れるけれど、それは少ない量にして、厚揚げでボリュームをしっかりと増やすのだ。
今日はプチトマトが安売りしていたので、それもカレーの具材に仲間入りさせてしまおうと遥香は考えていた。
最後に加えて軽く火を通すようにすれば、爽やかな酸味と旨みが、きっと心地良いだろう。
厚揚げともやしをメインの具材にしたカレーは、遥香がつくる食事の中で、定番と言えるメニューだった。
今日のプチトマトのように、その時々で安売りしている食材や、旬の野菜を加えれば、アレンジも楽しめて、飽きることがない。
なるべく節約をしたくて考えた料理だったが、遥香も、弟の結人も、このカレーをなかなか気に入っていた。
長く煮込む必要もないから、短時間でパパッと作れるのもありがたい。
結人は、今日は大学の講義に出た後、アルバイトに行くと言っていた。
たぶん、彼が帰ってくるまでには、食事の用意ができるだろう――。
そんなことを考えていたら、パッと信号が青に変わって、遥香は足を踏み出そうとする。
けれど――。
(……え?)
その瞬間、遥香は奇妙な感覚に囚われる。
何故だろう。
足が、動かない。
遥香を濡らす雨の音がざあっと大きくなった気がして――まるで雨の中に、閉じ込められてしまったよう。
(なんで……? 私、帰りたいのに……)
足が、一歩も前に出ない。
信号の青も、遥香を追い越して歩いてゆく人たちの姿も、雨にけぶる視界に、確かに映っているのに。
遥香だけが、その場から動けないままだ。
すいすいと横断歩道を渡っていく人たちと、自分との間には、何か……決定的な違いがある。
――私……ここを……渡れない。
何故か、遥香は強烈にそう思った。
そしてそう思った瞬間に――ひどく、胸が苦しくなった。
視線が、足元へと落ちる。
地面に叩きつけられてぱたぱたと跳ねる雨粒が、いくつもいくつも、動かない遥香の足を濡らしていた。
――どうして? どうして、私……。
じわ……っと、肌に触れる濡れた衣服の感触が、急に気持ち悪くなる。
喉を何かが迫り上がってくるような、強烈な恐れと不安が遥香を呑み込みそうになった、そのとき――。
「姉さん!」
鮮烈な声が、さっと遥香の意識に飛び込んできた。
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