1.遥香

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「あ……」  顔を上げれば、ばしゃばしゃと水音を立てながら、横断歩道の向こうから駆け寄ってくる人がいた。  大きな傘を手にして近づいてきたのは――弟の、結人だ。 「結人……」    弟の姿に、ほっと遥香の唇から安堵の息がこぼれおちる。  それと同時に、強張っていた遥香の身体に、ふわりと血が巡るような、穏やかな感覚が訪れた。 「姉さん、こんなに濡れて……」  心配そうな顔をした結人が、自分の傘を差し出して、遥香をその中へと入れてくれる。  身体を濡らす雨から守られて、ようやく遥香は、安心できた。 「結人。迎えにきてくれたの?」  そう問えば、結人は何故か一瞬、ぎゅっと眉を寄せて――それから彼は、困ったような顔で笑った。 「うん。そう……そうだよ。姉さんを、迎えにきた」 「そう。ありがとう」  遥香が笑みを浮かべると、結人も笑う。  赤に変わっていた信号が、もう一度、パッと青になる。 「さ、姉さん。帰ろう」  そう言って結人に促されれば、さっきまでの感覚が嘘のように、遥香の足はすんなりと前に出た。  そのままふたりは、何事もなく、横断歩道を渡り切る。 (なんだったのかな……? さっきの……)  まるでもう、どこにも行けないような、奇妙な感覚。  それをもう一度確かめたくて、遥香は振り返ろうとしたけれど――。 「行くよ、姉さん」  思いのほか強い口調で結人に促され、遥香は慌てて「う、うんっ」と応えると、歩みを進めた。
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