1.遥香

5/6
前へ
/10ページ
次へ
「何言ってるの。平気よ、これくらい」  そう言って、遥香は笑う。  なんだか今日の結人は少し変だ。  彼は、遥香が雨に濡れてしまったことを、ひどく心配しているみたいだ。  結人はいつだって優しいけれど、今日の彼はさすがに心配が過ぎる気がする。 「帰ったらすぐお風呂に入るから。それで大丈夫よ」 「……そっか」  まだほんの少しだけ眉を寄せたまま、結人はまた、困ったような顔で笑う。    いつだって優しい、遥香の弟。    幼いころに父を亡くして、さらに一昨年、母が鬼籍に入ってからは――遥香にとって、たったひとりの、大事な家族だ。 「姉さん。帰ったら……しっかりあったまらないと、だめだよ」 「わかってるわ」 「――じゃあ、姉さんが風呂に入ってる間に、俺がメシを作ろうかな」 「え?」  結人の言葉に、遥香は驚いて目を見開いた。    明確に家事の分担を決めていたわけではないが、これまで、食事の支度をするのは基本的に遥香の役割だった。  その分、結人は食事の後片付けや掃除など、他の家事を積極的に引き受けてくれていたので、遥香もそれでいいと思っていたのだ。 「結人が……作ってくれるの?」  そう尋ねれば、結人はバツが悪そうな顔をする。 「できないわけじゃないよ。……いや、俺、これまで姉さんに甘えすぎだったなって、思って」 「結人……」 「メシのことだけじゃなくてさ……。俺、色々……姉さんに、甘えていたと思う」  歩きながら、前を見つめて、結人はそう言った。 「母さんのときも、そうだった。甘えすぎてたなって……俺、確かに思ったんだ。なのに今度は姉さんに甘えて、色々背負わせて……」 「結人」 「これからはもっと――できることを、するよ。できなくても、やる」  そう語る結人の目には、決意のような色と、やるせなさのような色が、同時に滲んでた。  彼の声と共に、た、た、た……といくらか軽くなった雨音が、遥香の鼓膜を震わせる。 「だから……家に帰ったら、メシは、俺に作らせて」  そう言って、結人は立ち止まり、遥香をじっと見た。  遥香も一緒に足を止めて、結人を見つめる。  この子は……こんなにも、大人びた顔をする子だっただろうか。 「……うん。わかった。ありがとう」  遥香が笑ってそう答えると、結人も笑みを浮かべて、また歩き出す。
/10ページ

最初のコメントを投稿しよう!

4人が本棚に入れています
本棚に追加