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「何言ってるの。平気よ、これくらい」
そう言って、遥香は笑う。
なんだか今日の結人は少し変だ。
彼は、遥香が雨に濡れてしまったことを、ひどく心配しているみたいだ。
結人はいつだって優しいけれど、今日の彼はさすがに心配が過ぎる気がする。
「帰ったらすぐお風呂に入るから。それで大丈夫よ」
「……そっか」
まだほんの少しだけ眉を寄せたまま、結人はまた、困ったような顔で笑う。
いつだって優しい、遥香の弟。
幼いころに父を亡くして、さらに一昨年、母が鬼籍に入ってからは――遥香にとって、たったひとりの、大事な家族だ。
「姉さん。帰ったら……しっかりあったまらないと、だめだよ」
「わかってるわ」
「――じゃあ、姉さんが風呂に入ってる間に、俺がメシを作ろうかな」
「え?」
結人の言葉に、遥香は驚いて目を見開いた。
明確に家事の分担を決めていたわけではないが、これまで、食事の支度をするのは基本的に遥香の役割だった。
その分、結人は食事の後片付けや掃除など、他の家事を積極的に引き受けてくれていたので、遥香もそれでいいと思っていたのだ。
「結人が……作ってくれるの?」
そう尋ねれば、結人はバツが悪そうな顔をする。
「できないわけじゃないよ。……いや、俺、これまで姉さんに甘えすぎだったなって、思って」
「結人……」
「メシのことだけじゃなくてさ……。俺、色々……姉さんに、甘えていたと思う」
歩きながら、前を見つめて、結人はそう言った。
「母さんのときも、そうだった。甘えすぎてたなって……俺、確かに思ったんだ。なのに今度は姉さんに甘えて、色々背負わせて……」
「結人」
「これからはもっと――できることを、するよ。できなくても、やる」
そう語る結人の目には、決意のような色と、やるせなさのような色が、同時に滲んでた。
彼の声と共に、た、た、た……といくらか軽くなった雨音が、遥香の鼓膜を震わせる。
「だから……家に帰ったら、メシは、俺に作らせて」
そう言って、結人は立ち止まり、遥香をじっと見た。
遥香も一緒に足を止めて、結人を見つめる。
この子は……こんなにも、大人びた顔をする子だっただろうか。
「……うん。わかった。ありがとう」
遥香が笑ってそう答えると、結人も笑みを浮かべて、また歩き出す。
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