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「ただいま」 「おう」 「おかえりー」 22時少し前に帰宅する。いつもどおり弟はもう寝ている。激務で満足に我が子たちの顔を見られない父親の気持ちが、今はわかる。自分などよりも、たまに家に来る邦博の方がよほど懐いているのではないだろうか。 父も母も、たまには休んだらどうかなどとは言わない。ただ彼らも"定休を作れ"とは最近になって言うようになった。難しいとは思っていたが、本庄を雇い入れることができれば可能だろう。サラは事務作業全般を担えるが、現場作業に関しては本庄に自分の脳をすればいい。 今日は遅い昼食にしたマックで事足りたので、冷蔵庫の中のものは明日に回すことにして、シャワーを浴びる前にソファに座り麦茶を飲んだ。今夜は珍しく観たいテレビ番組があるのだ。 真ん中で眠る猫をまじまじと見つめる。久々にじっくりと姿を見た気がするが、また母お手製の似合わない小花柄の首輪をつけられている。 「……トトロ太り過ぎじゃない?」 「食べて寝てばっかだから」 「お前はこの時期になると痩せすぎだ。実家暮らしならちゃんと食えよ」 「食べてるよ。……ちゃんとダイエット用のエサだけにしてるの?おやつあげてない?」 「してるわよ、いつも獣医さんとこで買ってるんだから。おやつもあげてない。うちに来る前からずっと太ってたらしいから、痩せるのは難しいんじゃない」 「いま何キロ?」 「8」 「信じらんない……その辺の赤ちゃんより重いじゃん」 22時。 いつもはテレビを観ないが、今夜の【サタデールーキーズサテライト】は、リアルタイムで観ておこうと思った。毎週土曜のこの時間に始まる、様々な職業の卵たちを特集した30分番組だ。 ナレーションと共に番組がスタートする。 『今夜の仕事人(ルーキー)は、××島で生まれ育った生粋の海の男だ。学生時代、親の反対を押し切り本土に渡るが、あえなく高校を中退し、今度は単身カリブ海に渡った。海を愛する男。若き彼の出遅れた挑戦は、処女航海にいかなる波乱をもたらすのか』 画面に"男"の横顔が映る。そして【ハルヒコの挑戦】という副タイトルのテロップが画面に打たれた。 それを観た瞬間天音は小さく噴き出したが、父はビールを口につけたまま硬直し、母はミシンを掛けようとした体制のまま口をポカンと開けた。 「……これカイザーか?」 「渦川くんよね?」 「おい天音」 「……そう、ハルヒコだよ。失踪して高校やめてから、しばらくぶらぶらして今は船乗りの学校行ってるみたい」 「お前それ言えよ。何でテレビ出てんだ?」 「ここのディレクターからしつこく取材の打診が来てて、しつこいから出ろって校長に言われたんだと。とてもテレビで流せないことばかりしてたらしいけど、ポシャると思ってたのに上手に編集してくれたらしくて、学校からもオッケー出されたらしい」 「いつカイザーと連絡取った?」 「こないだ四国からハガキが届いた。どこで知ったんだか、なぜかうちの事務所宛で。殴り書きでこの番組名だけ書いてあったから、なんか出るのかと思って」 「そうか。カイザーらしい荒削りな近況報告だな」 「渦川くん生きてたのね」 「生きてるだろ流石に」 「……まあ死んではないとは思ってたよ」 天音はトトロのとなりで、クッションを抱きながらぼんやりと画面を眺めた。父母の方が熱心に番組に食い入り、父は彼の訓練の様子を観て「へえ〜」とか「ほお〜」などと小さな感嘆を漏らし、どうやら感心しきりの様子であった。 ナレーションで語られる彼の来歴を要約するとこうだ。 高校を2回も辞め、突如として失踪。理由はなかったし、見つける必要もないと言う。数ヶ月ガラパゴス諸島に逗留したのち、実家の伯父に連れ戻され、高校は諦めて外交船で働くための高専に入学した。 船員を目指そうと決めたのは、カリブに浮かぶクルーズ船を毎日眺めていたときだ。何もやりたいことなど無かったが、渡り鳥のように国々をうつろい、枯葉のように広大な海の中を漂いたい。そのために人間に残された唯一の手段は、船だ。 高校はすぐに辞めたが、5年以上ある商船学校は来年修了予定だそうだ。 伯父にガラパゴスで3発殴られたが、家族はみんな、彼の挑戦をずっと応援してくれている。 渦川陽彦、明日6/16で25歳。今は1年間の乗船訓練の真っ只中で、学内では最年長の高専生だ。 天音の私用スマホには仲間たちから続々とラインが入ってくるが、それを開くこともなく、30分の放送が終わるとシャワーを浴びてすぐに2階へ上がった。 弟の部屋にそっと入ると、「アイツ、この子の顔一度も見てないのか」とつぶやき、頬をぷにぷにと指でつついた。トトロの腹と同じ柔らかさだった。
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