2024年5月25日

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2024年5月25日

「お父さんが倒れた?わかりました。○○病院ですね?すぐに向かいます」  わたし、水沢祥子は休憩室で留守電を聞いた。父親がアトリエで倒れていたところを通いの家政婦が発見し、すぐに病院に搬送した。どうやら脳梗塞を起こしたらしく、今も意識混濁が見られた。  医師の話では左半身に麻痺が残るかもしれないという。ただ、わたしは左半身麻痺でも命だけは助かってほしいと切に願った。  父親は高名な画家である。若くして才能を開花させた父親。水沢峻三は日本のみならず、海外の画商をも唸らせる描き手であり、三年前には紫綬褒章を授与されるほどだった。だから、マスコミがこぞって病院前に集まって、良い情報、悪い情報、なんでもいいからニュースバリューになりそうなネタを持って帰ろうと必死だった。  わたしは水沢峻三の娘であるが、マスコミはわたしを娘だとは認識していなかったので、正面玄関から堂々と入ることができた。  病室の前には家政婦の平川宮古がいた。顔は真っ青で事態の深刻さを物語っていた。  宮子は何を訊いてもしどろもどろで、要領を得なかった。  処置室から医師と看護師が姿を現した。  医師は非常に厳しい表情だった。  父親は午前三時前後に脳梗塞を発症した。真夜中は家には誰もいない。わたしは三年前に家を出て一人暮らしをしていた。だから、父親の世話は家政婦の宮子さんに任せきりだった。
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