2024年5月25日

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 母親を幼くして亡くしたわたしたち姉妹は父親に育てられた。母親は病弱だったこともあり、早逝した。母親からの愛情をわたしは注ぎ込まれたが、妹は生まれて間もなく母親が亡くなったこともあり、愛情を受けられなかった。  そんな不憫な妹の母親代わりになった。妹は母親がいないことで、情緒不安定になった。夜中に突然、癇癪を起こしたかのように泣き叫ぶことがあった。その度にわたしは妹を寝かしつけるまで傍らに寄り添った。  そんな中、父親は家政婦を雇った。経済的に余裕ができたこともあったし、わたしの負担を少しでも減らしてやろうという親心があったのかもしれない。  父親は絵を描く以外に能がなかった。家事ひとつまともにやれた試しがなかった。もし、わたしや家政婦がいなかったら、父親は餓死してもおかしくはなかった。  だけど、わたしたちが学校へ行けたのも父親がいてこそだ。互いに迷惑をかけているのだから、それが家族というものだと思った。  その父親が倒れた。今更ながら、わたしは家を出たことを後悔した。  もともと、父親とは反りが合わなかった。わたしは大学を卒業したら家を出ようと考えていた。だが、あの事件が起きてからわたしを取り巻く状況は変わった。  あの事件とは妹の亜美がトンネル内で皮ベルトで首を絞められ殺害された事件。当時はセンセーショナルな事件だったため、マスコミが過熱報道をした。  何よりも、被害者があの高名な画家、水沢峻三の娘という事情もあって、マスコミはハイエナのように家の周りをうろついた。  父親はマスコミの前で顔を真っ赤にして怒鳴った。おまえらは血も涙もない人間の集まりだとカメラに向かって吠えた。
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