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ぱたん、と扉が閉まった瞬間を逃したら駄目。隙を見せたらこの人、さっさと部屋の奥へと進んで甲斐甲斐しく荷物を解いて居住環境を心地よく整え始めそう。
いつもはわたしももちろん一緒になってすぐに片付けを始めるけど、今日はその流れに同調したら駄目だ。絶対長くなる、下手したらそのまま昼食と夕食の支度とかに取り掛かるだろう。食材見つけてくるよ。とか言い置いてさっさと森へと出て行きかねないし。
雰囲気がそういう日常的な方向に向かう前に、すかさずまた二人きりのときのあの熱い空気を呼び戻しておかなくちゃ。…しかし、そうは言っても。どうしよう。
ドアが閉まると同時に、彼の顔を真っ向から見据えて視線を捕まえて。無言のまま眼差しで訴えるとか。…あなたが好き、アスハと一刻も早く一緒になりたい。ひとつになりたいのと強く念を送る。
悪くはない。多分、視線に込めたニュアンスは感じ取ってくれるとは思う。アスハは決して空気を読めないとか鈍い方ではない。まさかこの流れで意図して知らんふりでスルーしてくることはなくもないと思うが。…わたしの情熱的な訴えについてはさすがに見て見ぬふりはしない、よね?
それとも。…あまりに前のめりで押せ押せのわたしの姿勢にむしろ内心で恐れを成して。今さらながら先延ばしにしたいとかなかったことにできたらとか。思ってたりはしてない、よね?
「あ。…あっちの奥のはドアに何もかかってなくない?」
近くに行ってみるか。と振り向き、わたしを促す。彼が指し示す方には林のさらに奥、鬱蒼とした木々の隙間に隠れるようにひっそりと建つ一軒のバンガローが、他の数軒とはやや離れたところに姿を見せていた。
そっちに近寄る彼の足取りはいつもよりせかせかしてるように感じる。思いの外バンガローが早めに先客に占有されてそうな雰囲気なので、ちょっと焦ってるのかな。だったら彼なりに前向きな気持ちの表れだと思われるので、それならそれでいいんだけど…。
急いで何とかそのあとを追いかけた。普段なら必ず途中で振り返ってわたしがついて来られてるかどうか確かめるけど、今日はそんな余裕もないらしい。
隅っこのバンガローにたどり着いてドアを試しすがめつしてる彼にようやく追いついた。半ば息切れ気味でぜいぜいしてるわたしの方を振り向き、弾んだ声で報告してくる。
「大丈夫そうだ。今は誰も使ってないみたい。ちょっと、中に入って点検するよ。どこか壊れてるとか、問題があって空室になってる可能性は否定できないしな」
「どうだろう。…単に他のバンガローと離れてて、これだけひっそりと奥にあるからじゃない?普通に手前から埋まっていくだろうし」
たまたま外側の道に近い方から順に人が入ったってだけじゃないのかな。と思ったわたしがその旨口にすると、彼はそれに特に抗弁はせず、ドアノブに手をかけて扉を押し開けながら軽く受け流して答えた。
「だとしたらラッキーなんだけど、俺にとっては。むしろぴったりすぐ近くに他のバンガローが建ってたら落ち着かないもん。どうせなら、隣としっかり離れてて。人目がなくて静かで落ち着ける部屋がいいから…」
それって。
こっちに背中を向けてずんずんとバンガローの奥へと進んでいきながら、あまりにも何気ない声でそんな風に述懐されてどきんと胸が鳴る。
これからこの部屋で何するか、ちゃんと今このときでも彼の頭の中でしっかりした認識があるってことだよね。
だとしたら、何のためにわざわざ戸建てのバンガローまで移動してきたのか、すっかり忘れてここでのんびり過ごそうと考えてるわけじゃない。
どう見ても事務的な淡々とした態度で各部屋を歩き回って点検して回ってるけど、アスハの脳裏では今まさに。…これからわたしと何をするか、生々しいリアルな想像が展開されてるって状態なのかな。
そういう理由で積極的なんだったらいいなぁ。わたしとしては、彼も自分と同じ気持ちでいてくれるならそれが一番嬉しいし。
「あ。…ここが寝室みたいだな」
入って行ってすぐの真ん中が明らかにリビング。入り口の脇に元トイレと浴室(紙とか袋を敷いて用を足して野外に持って行って始末すれば今でも使える。お風呂の方は、こういう施設のは普通大抵改造されて外から薪を焚けば沸かせる風呂釜になってることも多いけど。ここのがどうかはちゃんと見てみないとわからない。温泉が近いから、そこまで手間かけてないかも…)があった。旅館とかの客室によくある配置だ。
リビングを通過した奥に木製の扉があって、アスハはそこを開いて頭を突っ込んで中を確認してる。それからぱっと振り向き、わたしの方を向いて片手で手招きをした。
「見なよ、ちゃんとベッドある。造りもしっかりしてるし落ち着いて寝れそうだ。…まあ、さすがに幅は狭いけど。そこは贅沢言えないか…」
「幅狭い?…そう?」
彼の背後からひょいと上体を伸ばして覗き込んだわたしは、そこにある造り付けのがっしりした二つ並んでるベッドを眺めて思わず首を捻る。
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