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起
「…ん…うう~ん…」
何時もと変わらぬ朝。
おれは何時もねぐらとしている快活CLUB益城町店の狭苦しいフラット席にて、何時ものように目を覚ます。
(さて…と。今日の朝ごはんはトーストにするか、白米に味噌汁とするか?それともいっそのことパンケーキにでもしようかなぁ…?)
何しろ、今からちょうど半世紀前の2134年に稼働を開始した「益城塵芥処理場」での、自分の仕事は非常にキツイ。今時分、18歳以上で一週間の講習と実技試験を受けさえすれば、誰でも使用可能なパワードスーツが普及しているのだが、それは裏を返すならこの装置さえ事業所で導入すれば、おれたちブルーカラーにはどんな無茶を押し付けてもお咎めナシ!ということになるのである。
そんなわけで、朝メシにがっつりとカロリーとスタミナを摂っておかないと、昼時にはへたばってしまう。おれは朝のごはんには、結構なCPを叩く性分なのであった。
おっと、自己紹介を忘れていた。
おれの名前は大林ヨリノシ。2162年2月28日生まれの22歳。慈恵会病院の赤ちゃんポストの産湯に浸かり、何の因果か益城町の児童養護施設で育つこととなった。そしておれの親父とお袋は、どうやら荒尾市に在住しているらしい。「よ志乃」という姉がいるが、おれが赤ちゃんポストに預けられたのは、両親が「二人も子どもを育てるのは無理」という考えがあったからであった。
今現在、誰が何処に住んで何処の学校を出て何の仕事に就いているのかは、その気になればすぐさま検索できて、プライバシーも丸裸になる。しかし、誰もがそんな個人情報を悪用して、犯罪や嫌がらせをしようとしないのは、仮にやらかすとそれ以上の報復が返ってくるからである。だから、この時代にはプライバシーや個人情報がハナクソ扱いされているのにも拘わらず、犯罪は非常に少ない。
20世紀末ならいざ知らず、22世紀も終盤に差し掛かろうとするこの時代、おれのDNAをちょい!と調べるだけで、親が誰なのか?何処に住んでいて何をしているのか?は、あっという間に判明するのである。
おれは田舎の児童養護施設出身であるが故に、大学進学は諦めていた。その気になれば大学には入れるのだろうが、生憎おれは勉強が心底嫌いで、高校3年の時に崇城大学のキャンパス見学に出かけても、何ひとつ琴線に触れるものが無かった。
そんなわけで、おれはテキトーに進路を決めて塵芥処理場に職を求めた。
(…う~ん…メシはあれこれあるが、とりあえず今日は名古屋風に、あんバタートースト半熟卵サラダ付にコーヒー・それと野菜ジュース、ついでにソフトクリームでもつけようかな…?)
熊本県内のネットカフェは、何故か快活CLUBだらけである。「自遊空間」も「メディアカフェ・ポパイ」も、検索しても県内には一軒も存在しない。熊本でどうして快活CLUBが業界内で天下を取ったのかは判らないが、ともあれ、おれは晩ごはんに毎日「野菜あんかけ」を注文する。そうでないと栄養が偏って、早死にしかねないからであった。
そして注文から10分後…。
「朝ごはんをお持ちしました~。あんバタートースト半熟卵サラダ付でお間違えないでしょうか?」
おっ!?この声は…?
おれが密かに好意を寄せている店員の女の子・ウラトキさんが、メシを持ってきてくれた(検索せずともネームプレートを見れば彼女の名前が判る)。こりゃ幸先がいい。
ともあれ、おれは朝メシを食って、洗面所で歯を磨いてその後にいそいそと仕事場に出かける。
*
「おはようございま~す!」
ヨリノシは何時ものように、塵芥処理場に到着早々同僚に挨拶をする。
「おう!おはよう!今日も事故の無いように、しっかり働こうぜ!!」
「おはようございます!ヨリノシさん。今日もお仕事頑張りましょう」
「ヨリノシ君、本日も無事故で仕事を粗相なくこなしてくれたまえよ」
同僚・後輩・上司から、今日も何時もと変わらない声掛けをされる。実に代わり映えのしない、そしてホワイトカラーの仕事とは全く次元の異なるブルーカラーの世界での挨拶であった。
彼は就業時間を迎えて、早速パワードスーツを装着して仕事に入る。…と言っても、ひたすらに熊本県中央部各地から送られる不要物・廃棄物を、一度に100㎏ずつ焼却炉に投下するという、単純極まる労働を延々とこなすのであったが…。
そしてこの日、ヨリノシは人生を変える「廃棄物」に出くわしたのである。
「ふぃ~…。ややこしくはないが、こうも単調な仕事をしていると、飽き飽きするなぁ…」
パワードスーツを休めて、トイレ休憩を摂っている際。
ヨリノシは廃棄物の中に混じっていた本のことを思い出す。
「…しかし今日は南阿蘇村から届いた廃棄物を焼却炉に放り込んだが、あの中にあった『弱者男性』ってタイトルの新書は気になったなぁ…。アレ、一体どういう意味だろう?」
この時代、「弱者」という単語は差別用語として禁句となっている。
「『弱者』という言葉は、実際に身体的・経済的・民族的・性的、その他社会的に不利な立場にいる人々への侮蔑につながりかねない」
…という理由で、「弱者」という言葉は今やネットで検索してもヒットしない単語となっているのであった。
ちなみに2184年現在、社会的に「勝ち組」として成功している人々と「負け組」として底辺で呻吟している人々との間では、利用するSNSすら異なっている。
「勝ち組」が利用するSNSは「面书」というもので、これは多額の課金が可能で実名で投稿しても差し支えの無い人々が、自分たちの自由で裕福な暮らしを確認し合うために用いられている。一方、「負け組」たちは「杂音」というSNSを使い、普段の理不尽な労働への不平不満・愚痴に社会への怨み辛みを吐き散らしている。そして「面书」「杂音」のユーザー間では、相互に交流することなく、勝ち組は負け組が何を考えているのか?負け組は勝ち組がどんな生活を送っているのか?を、窺い知る機会すら全く無いのであった。
ともあれ、ヨリノシはこの日焼却炉に放り込んだ廃棄物の、一番上にあった『弱者男性』という新書をこっそり抜き取らなかったことを悔やむ。
「…本当に惜しいことをしたなぁ…。今どき『弱者』なんて言葉、使っちゃいけないから。多分21世紀には普通に本屋で売っていた新書なんだろうけど、今はもう絶対に、このテの本は復刊も無理だろうからなぁ…」
そして彼は、タイトルに冠されていた「弱者男性」というのはどんな存在なのかを想像してみる。しかし、その容姿は頭にモヤがかかったように、全く思い浮かばないのであった。
ヨリノシは、午前中も昼食時も、そして午後の仕事の時も「弱者男性」という四文字熟語がぐるぐると頭の中で渦を巻き、気になって仕方がなかった。
そんなわけで、彼はねぐらの快活CLUBに戻ってからの過ごし方を決定した。
「よし!今宵はどうにかして『弱者男性』というワードを検索してみよう!」
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