繊細なあなたと 16

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―――由希奈side 昔から、“村”が嫌いだった。 小中の9年間で変わらないクラスの面子。すぐにプライベートな情報が出回るネットワークの狭さ。 この狭い“村”は地理的に閉ざされていた。閉ざされた土地の住民は、その中で結束を固めたがる。もちろん、濃密な人付き合い自体を悪と言っているのではない。 ただ、私の“村”では住民同士の結束を固める傍ら、彼らの“普通”からはみ出た者を排斥する文化があった。 そして、その“普通”からはみ出した私は、 この“村”が心底息苦しかった。 違和感に気が付いたのは、小学4年生の時。 ――「じゃあ、夏休み中の読書の数を聞いていくから。学校の図書館の本はカウントしないからなー」 担任はそう言って号令をかけると、出席番号順に名前を呼び、夏休み中に読んだ本の数を答えさせた。 「朝倉」 「0です」 「安倍」 「0でーす」 「井上」 「0ですー」 クラスメイトたちは「0」と返答していくばかりだった。 しかし、私は片親で家に居ても暇を持て余してしまうため、夏休み中は市営の図書館に入り浸っていた。そして私は嘘偽りない数字を答えてしまう。 「白石」 「150です」 私が答えると、一気に教室がザワザワし始める。 担任も「0」続きの中でいきなり桁の違う数字が飛び出して驚いたのか 「本当に150?」 と聞き返してきた。 それに私が「はい」と答えようとした瞬間―― ――「150とか嘘ついてんじゃね~よ」 クラスのガキ大将的彼の発言。この一言をきっかけに教室は大爆笑につつまれた。仲が良いと思っていたはずの女の子たちもクスクスと笑っている。 「150冊とか読めるわけないじゃんねー」 「ここは0で空気読んどけよ」 ヒソヒソとした私への陰口も聞こえて来る。 目の前が真っ暗になる感覚がした。 そしてそれと同時に今まで感じていた息苦しさの正体が、この時初めて分かった気がした。 確かにこれは、ほんの些細な出来事だ。 これだけのことで“村”を嫌うの?と疑問に思う人もいるかもしれない。けれど、想像してほしい。ここは非常に狭い世界だ。 一度、教室という場で嘲笑を浴びた者を、年端のいかぬクラスメイト達はどう認識するだろうか? すなわち、「こいつは笑い者にしていい」という一種の見下し共通認識が、潜在的にクラスメイトたちに根付いてしまったのだ。 それからというもの、私が何かを発表するたびに冷ややかな嘲笑が浴びせられた。そして、ヒソヒソと陰口が聞こえてくるのだ。 「がり勉」 「頭いいぶってんじゃん」 それまで仲良くしていた子たちも、どこか私をぞんざいに扱ってくるようになった気がしてきた。 「この前ウチで食べたクッキーまた作ろうね」 「ね!おいしかったよね!」 昼休みに三人で談笑していると、私以外の二人が突然このようなやりとりを始めた。 「なんのこと?」と私が問いかけると、 「んーなんでもないよー」 と返って来る。“なんでもない”ことはない、ということくらい分かっていた。この一連のやりとりで、彼女たちにとっての私の優先順位を突きつけられた気がした。 このような生活が中学を卒業するまで続いた。これに耐えられる人も、もちろんいると思う。けれど私は耐えられなかった。 絶対に、こんな“村”抜け出してやる。 こんな“村”捨ててやる、と心に決めた。 幸い、図書館通いが功を奏したのか、私は勉強が得意だった。得意は好きにつながり、好きは得意を、もっと得意にする。 私は高校受験を機に、“村”のクラスメイトたちが誰一人いない学校へ進学した。 そして初めてのクラス替えを経験して一つの見識を得た。 というのは、異端者はどの集団にも存在するということだ。私は小中の“村”では異端であった。これと同様に、高校のクラスにも異端らしき人物はいた。 異端者に思われた彼はクラスではいつも一人で、どこか浮いた感じがしていた。そんな彼に対して、私は密かに仲間意識を芽生えさせていたのだが、ある日驚愕の光景を目にした。 なんと、彼は他のクラスの友達と談笑していたのだ。つまり、彼はクラスという集団では異端であっても、学年ひいては学校という集団においては、仲間がいたのである。 高校は一学年が300人。全部で8クラスある。クラスで異端となった彼らは、他のクラスに波長の合う仲間を見つけることができる。 この事実を知った時、私は悟った。ここに田舎の悪さが隠されていたのだと。 カラクリはこうだ。40人に1人程度、異端者がいるのなら母数が大きくなればなるほど、異端者の数も増える。そして彼らは弾かれた者同士で仲間を見つけることができる。 もしも、私の通っていた小中学校が1学年1クラスではなく、2クラスあれば、私にも仲間がいたのではないか。 そんな妄想を繰り広げながらも、私は高校では友達に恵まれ、仲間たちと切磋琢磨した結果、第一志望の大学に合格した。 つまり、名実ともに“村”からおさらばできる切符を手に入れたのだった。 慌ただしい引っ越しを終えて、念願の都会一人暮らしを噛みしめる。 一歩外を出れば、空を埋め尽くさんばかりの高層ビルが立ち並んでいる。見渡す限り山が広がっていた“村”とは大違いだ。 それからというもの、学業に励む傍ら、サークルに所属しアルバイトも始めた。 順風満帆のキャンパスライフを楽しんでいたのも束の間 ――「高橋さんって、仕事できないよね」 アルバイト先の従業員室での一幕。部屋には私のほかに同僚の先輩3人が談笑していた。 高橋さんというのは私と共にアルバイトを始めた1年生の子だった。 「それ思ってた~。高橋さんってオドオドしててなんか邪魔っていうか」 「なーんかイラつくよね~」 そう言ってキャハハと笑う。 この会話から得られる情報は、同僚の先輩たちは仕事のできない新人を嘲笑う人たちである、ということ。きっと私も陰口を言われているのだろう、そう思うと心に靄がかかっていた。 排他的な、息苦しい空気が、かつての記憶を思い起こさせる。 私は気づいてしまった。“村”を出た先の安息地だと思っていたその場所は、別の“村”であるだけだった、と。 けれど私は認めたくなかった。ここは“村”ではない、あんなにも必死に努力した先にあるのは、もっと先進的で共感力に溢れた何かであるはずだと信じたかった。 それからというもの、私はその息苦しさに気づかないふりをするようになった。彼らの“普通”に盲目的に追従していた。そして、はみ出すことなく集団に所属できている事実に安堵を覚えるようになっていた。 だましだまし新しい“村”に所属し続け、気づけば大学2年生の冬になっていた。 そして、私は運命的な出会いをする。 「皆さん、ギャップイヤーという言葉を聞いたことはありますか?」 たまたま興味が湧いた心理学の講義。そこで教授は私になんとも新しい見識を与えてくれた。 「海外では、高校を卒業してから大学に入学するまで1年程の休みを取って、語学留学やボランティアに行く文化があるんです。でもね、私はこれ、大学準備期間と言わず、いつやってもよいと思っているんですよ。 日本の学生たちは小・中・高・大とずっと切り詰めた生活をして勉強や部活、アルバイトに明け暮れて、気づけば就活・社会人生活スタートって余裕が無いと思いませんか? だから、私は今からでも1年くらい休学して、自分を見つめる期間を設けることを奨励しますね。もちろん留学とかに行かずとも、一回腰を落ち着けることが大事だと思っているんですよ」 その話を聞いた時、私の中で何かがはじけた気がした。 私は何のために、狭い世界を抜け出して都会で大学生をやっているのだったか? “村”を飛び出したくせに、また“村”での生活に甘んじるのか? 私はこれまで何のために頑張って来たのだったか? 自問自答を繰り返した末、私は大学3年生が始まるとともに、1年間の休学を申請した。 契約していた賃貸アパートがちょうど更新の時期であったため、私はアパートを解約して実家へと戻った。 すると、お父さんの再婚とブッキングし、新しい家族との共同生活が始まった。 ーーそして、琴子に出会う。 初めのうちは打ち解けるのに時間がかかったが、観察しているうちに、彼女はかつての自分に非常によく似ているように映った。 狭い“村”の中で必死にもがく、かつての私に。 それから、私はなんとか琴子と仲良くなりたい、彼女の一助となりたい、彼女をこの狭い世界から連れ出したいと思うようになった。 しかし、私が考えている以上に、琴子は逞しかった。 ―――「由希ちゃん、私部活辞める!戦うために、逃げる!」 私が引っ張り上げるまでもなく、彼女は自らの意志で戦場に躍り出た。 そんな彼女を目の前にすると自分の中で衝動が沸き上がって来る。 私も琴子に置いて行かれたくない。私も彼女のように戦う人間でいたい。 そして、琴子が戦うさまを一番近くで見ていたい、そう願うようになった。 琴子のそばに居たいのならば、私自身も戦う人間であらねばならない。“村”のしきたりを盲目的に遵守し続けるような保守的な人間は、彼女の隣にあってはならない。 私も戦うのだ。何かに追従し思考停止するのではなく、己が己のまま生きていられるよう、強くあれる人間になるために。 初めての自習室に興奮し熱心に勉強に励む琴子の横顔を眺めながら、私は私の情熱を思い出していた。
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