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15話
オリバーは、腕の中にある三冊の本をぎゅっと抱きしめた。
先祖と祖母が遺した想いを、今度こそ大切にしなければ……。
一度は手放してしまった本の重みをひしひしと感じながら、オリバーは資料館を後にした。
「今回は、イートン君のお手柄だったね」
皆で研究棟へ向かいつつ、スティーヴンが優しい声音で言う。
「えっ? お手柄だなんて、そんな……っ。偶然、思いついただけですから」
管理官の賛辞に、助手は思いきり首を横に振った。
「謙虚だね。コリンズ家の本が資料館にあるとは思いもしなかったよ。しかも、こんなに大きな発見に繋がって」
「私も驚きました。魔力の承継……夢のような話ですね」
「うん。前代未聞の大魔法だよ。もし、子孫への承継が成功していたら、帝国の人々は大騒ぎしていただろうね」
「魔力を誰かに譲れるとなると、社会の常識が一変しそうですもんね」
親友と驚きを分かち合っていると、弟から尖った視線を感じた。
何事かと顔を向けてみれば、隙のない美貌が懐疑的な表情を浮かべている。
「お前……俺たちを資料館に誘導したんじゃないのか?」
「え……?」
アーノルドの鋭い疑問に、オリバーの心臓が不穏に鳴った。
「ゆ、誘導……?」
「俺の部屋にある本は全く読もうとしなかったくせに、資料館にはやけに行きたがったよな? コリンズ家の本を探すように提案したのもお前で、最初から分かっていたかのように、重要な本があった。偶然にしては、出来すぎだ」
「あ、の……」
漆黒の目に強く見据えられて、オリバーは視線を泳がせながら言葉を探した。
先程の資料館でもそうだったが、どうやらアーノルドに疑われているようだ。
きっと、何か秘密を抱えていることに気づいているのだろう。
――どうすればいいんだろう――……
口封じの魔法があるので、重要なことは口に出せない。
ここで無理に話そうとしても、不信感が増すだけだ。
――説明するより前に、口封じの魔法を緩めてもらわないと……。まずは学園に行かせてほしいって、頼むべきなのかな……。
上手く言葉が見つからずに無言でうろたえていると、オリバーの代わりにスティーヴンが口を開いた。
「アーノルド。そんなに強く睨んだら、イートン君が怯えるだけだろ?」
「別に睨んでない。聞いているだけだ」
「聞くにして――」
突然、声が中途半端に途切れる。
どうしたのかと問う間もなく、異常な光景が目の前に突きつけられた。
――え……!? 何が起こったの!?!?
アーノルドとスティーヴンが、ぴたりと体の動きを止めている。
彼らだけではない。
行き交う人々が、誰も動いていなかった。
歩いている人。話している人。
全てが不自然に固まって、もの言わぬ人形のようになっている。
まるで、流れる時間が止まったような。
――もしかして、時止めの魔法――!?
一瞬、十五年前のように時止めの魔法がかけられたのかと思ったが。
違う。
側にある木が、風にそよいでいる。
そして、何より――
オリバーの体は、自由だった。
「先生っ。管理官っ!!」
二人を呼びながら、動かない体に触れる。
よく見たら、どちらも四肢を震わせて、わずかに苦渋の表情を浮かべていた。
全力で体を動かそうとしているのだ。
「……っ……オリバー……逃げろっ……」
動かない唇の隙間から、アーノルドがかすれた声を絞り出す。
「先生……一体、何が……っ」
「にげろ……っ」
「先生たちを置いていくなんて、できませんっ」
「……いいから……行けっ」
「そんな……っ」
動かない体と戦っている二人を前に、どうすることもできずにいると、人形と化した人々の奥から男の声がした。
目を向ければ、こちらに向かってきている四人の男。
風体も歩き方も、この辺りで見かける人とはかけ離れている。
林で、オリバーを襲ってきた男たちと同じ雰囲気。
――こんなに人がいたら、さすがに狙われないと思っていたのに――……
警戒心を緩ませて、研究棟から出てしまった。
後悔と恐怖に、心が重く冷えていく。
けれど、怯んでいる暇はない。
震える体を叱咤して、オリバーはすぐ側まで歩いてきた男たちの前に立ちふさがった。
「……お前、大魔導師の助手だろ? 助手のくせに、魔力が全くねぇのかよ」
四人の中の一人。代表格と思われる大柄な茶髪の男が、嘲笑しながら言う。
どうして、魔力の有無が一目で分かるのか。
オリバーの怪訝そうな表情に応えるようにして、男が笑みを深める。
「魔力のある奴ほど、体が動かず、魔法も使えねぇようにしてんだよ。この辺りをうろついてる奴は、すげぇ魔力の持ち主ばかりだろうからな」
ここは魔法省の敷地内。
自然と、通行人のほとんどが高い魔力を持つ人になってしまう。
茶髪の男は、思惑通りとばかりに、固まっている人々を満足そうに眺めた。
「まさか、警吏の前で襲われるとは思わなかっただろ? 世の理の一つにな、魔力が豊富な奴ほど油断するってのがあんだよ。何があっても、自分の力でどうにかできると思ってやがる。そんなわけねぇのにな。今だって、まるで人形市じゃねぇか」
茶髪の男の言葉に、他の男たちが一斉に下品な笑い声をあげた。
「うちのもんが考えた魔法は傑作だよな~」
ヘラヘラと締まりのない表情を浮かべながら、男たちが徐々に近づいてくる。
今、動けるのはただ一人。
弟と親友を守れるのは、自分しかいない――!
オリバーは、二人をかばうようにして、両手を広げた。
その拍子に、持っていた三冊の本が足元に落ちるが、気にしている余裕はない。
「……コリンズ先生を狙っているんですか……?」
オリバーは、茶髪の男を鋭く見据える。
「ああ、そうだ。大魔導師様には、供物になっていただこうってな。俺たちは、共鳴を解きてぇんだ」
「……先生の命で解くつもりなんですね」
「理解が早くて助かるねぇ~」
やはり……。
コリンズ家の前で、アーノルドの命を奪う気なのだ。
「俺たちは大魔導師様にしか用はねぇから。痛い思いをしたくなかったら、そこをどいてろ」
四人の男に迫られるが、オリバーは一歩も引かなかった。
自分には、魔力も武力もない。
それどころか、危害を加えられたら、体が土塊に戻ってしまうかもしれない。
――けど、何が何でもアーニーを守らないと――!!
「……資料館に……はしって、もどれ……っ」
「……はやく――」
アーノルドとスティーヴンのかすれた声が、背後から聞こえてくる。
しかし、オリバーはそれには応えず、両手を広げたまま男たちを睨み続けた。
「先生の命を奪っても、必ず共鳴が解けるわけでもないのに、よくこんな大それたことができますね」
「あの家には、莫大な魔力が眠ってんだよ。魔力のねぇお前なら分かるだろ? でけぇ力が後天的に手に入るってことの価値を。少しでも可能性があるなら、試してみてぇじゃねぇか」
「試してって……人の命を何だと思ってるんですかっ!?」
「他人の命に、どれだけの価値があんだよ。俺たちだって、仲間の命は大事にする。大魔導師を殺せば、コリンズ家で凍ってる奴らを助けられるかもしれねぇ。それで魔力も手に入れば、一石二鳥ってやつだ」
男の言葉に、一つの疑惑が確信へと変わった。
――十五年前も、この男たちの仕業だったんだ――……
心臓が燃えるような激しい怒りが、心の奥から湧きあがる。
この男たちのせいで、アーノルドがどれだけ苦しんだことか。
失った十五年を返せと、男たちにつかみかかりたい衝動にかられた。
「もう、おしゃべりは終わりだ。ほら、どけよ」
兄の怒りをよそに、男たちはじりじりと距離を詰めてくる。
「嫌ですっ」
腕を広げて必死にアーノルドを守ろうとするオリバーに、男たちはそろって失笑した。
「ご主人様も逃げろって言ってんだから、言う通りにしとけよ。お前が助けられるわけねぇんだから」
「それでも……絶対に先生から離れませんっ」
何を言っても動こうとしない助手に、茶髪の男はわずらわしそうに息を吐く。
「こいつをどかせろ」
男の命令に、手下らしき他の男たちが、オリバーに手を伸ばしてきた。
無骨な指が肩に食い込み、痛みが走る。
「や、やめて……っ」
「おいっ。暴れるなっ」
男たちの手から逃げようとして揉み合いになるが、力の差は歴然だ。
すぐに体の自由を奪われて、オリバーは低く呻いた。
このままだと、アーノルドが捕らわれてしまう。
男たちに引きずられそうになって、激しく抵抗した。
「……だめっ……アーニーを連れて行かないでっ……!」
アーノルドの側から引きはがされたオリバーが叫んだ瞬間。
足元に落としていた本が浮き上がり、目の前で勢いよく開いた。
――これは、封魔書――……?
突然のことに驚いている皆の前で、本が閃光を放つ。
眩しさに、思わず顔を背けそうになっていると、本から大きな魔法陣が現れて、周囲に暴風が吹き荒れはじめた。
本に封じられていたショーン・コリンズの魔力だ。
先祖が遺してくれた風魔法が炸裂して、四人の男たちが吹き飛ぶ。
自分も強い風に体を押されて、後方へ飛ぶように地面を転がってしまった。
四肢に鈍い痛みが走るが、そんなものには構っていられない。
オリバーは、暴風の中でどうにか身を起こした。
あまりの強風に視界がきかず、そんなに離れていないはずなのに、弟たちがどこにいるのか分からない。
固まった体で風に耐えている人々がうっすら見えるが、どれも弟と親友ではなかった。
「……どこにいるの……?」
激しい風に揉まれながら彷徨っていると、見慣れた黒髪が視界をかすめた。
――アーニー、見つけたっ……!
オリバーは長身の黒髪を目印に、吹きすさぶ風の中を少しずつ進んでいく。
男たちも風に飛ばされただけで、まだ弟を諦めていないだろう。
――早く、アーニーのところへ行かないと――!
「アーニーっ、スティーブっ……!」
長い時間をかけて、ようやく二人の前へ飛び込むようにたどり着くと、四つの目から驚愕の視線を向けられた。
「……っ……兄さん……?」
「エリー……っ?」
――あ……僕……つい、二人を愛称で……。
いつもの呼び方で、弟と親友はオリバーの正体に気づいたようだ。
いや、封魔書が開いた時点で分かっていただろう。
「……本当に……兄さん……?」
漆黒の瞳が、切実な光を宿して見つめてくる。
何か……何か言わないと。
そう思って、口を開いた刹那。
オリバーの背後から、炎が襲ってきた。
「っ、火が……! アーニーっ」
背中に熱を感じて、とっさにアーノルドの体に抱きついた。
炎は、すぐに風でかき消されたが、すぐに次が放たれるかもしれない。
前に林で追ってきた火の魔法使いが、四人の男たちの中にいるのだ。
どうしよう……。
人形化の魔法とショーンの魔法は、いつまで続くのか。
アーノルドを男たちから守るためには、どう動けば――
「兄さん……」
思考を巡らせていたオリバーの耳に、アーノルドのかすれた声が届く。
見上げると、万感の想いが溢れた漆黒の瞳と視線が交わった。
「ぁ……アーニー……」
全力で魔法に抗うアーノルドが、震える手でオリバーの頬に触れてくる。
「……兄さん……兄さん……」
激しい風が吹き荒れる中、兄弟で深く静かに見つめ合った。
やっと、兄としてアーノルドの前に立つことができた。
この日を、どれだけ待ち望んでいたことか……。
大きな手に頬を寄せて喜びを感じていると、二人の空気を切り裂くように、後ろから男の唸り声が聞こえた。
「封魔書なんて、ふざけたもんを持ちやがって――!」
飛ばされた男たちが、火魔法で風を蹴散らしながら戻ってくる。
オリバーは、びくりと肩を震わせて振り返った。
そうだ。喜びに浸っている暇はない。
ショーンの魔力で一時はしのげたが、アーノルドはまだ狙われているのだから。
「魔法も切れかかってんじゃねぇかよっ」
人々が体をわずかに動かしているのを見て、茶髪の男が苛立ったように言う。
「すまねぇ。もう魔力が……」
人形化の魔法を発動させているだろう男が、弱りきった声を出した。
この様子だと、そろそろ魔法は解けそうだ。
「くそっ。この風のせいで計画が台無しだ」
男は茶色の髪を忌々しそうにかきむしると、オリバーを睨んできた。
「……策を変える。助手を連れていけ」
――えっ……僕――!?
男の一声で、標的が大魔導師から助手へと変わった。
再び、手下の男たちに体をつかまれて、オリバーは必死にアーノルドにしがみついた。
「や、やめっ……はなして……っ!」
弟に強く抱きつくが、それ以上の力で、男たちが引きはがしにかかってくる。
「やだっ……アーニー、アーニーっ……!」
「っ……兄さん……!」
アーノルドがわずかに動く手で兄の腰をつかむが、魔法のせいで力が入らない。
「抵抗すんなっ。めんどくせぇ」
複数人の力で思いきり引っ張られて、とうとう弟の体から離されてしまった。
――いやだっ。絶対に捕まりたくない……っ。
魔法に逆らって、渾身の力で伸ばしてくるアーノルドの腕に、全力でしがみつく。
「アーニーっ!」
しかし、男たちとの力の差は言うまでもなく――
必死につかんでいる二の腕から、ずるずると手がすべっていく。
――……離したくないのに、力がっ――!!
アーノルドの腕から指先にずれていく手は、どうあがいても止められず――
「兄さんっ……手を……っ」
「……アーニー……」
オリバーは、最後の力を振り絞って、弟の手指を握った。
アーノルドも、上手く動かない手で力の限り握り返してくるが……。
「いい加減、諦めろっ」
焦れた男たちがオリバーを持ち上げるように引っ張り、握り合っていた指先が離れてしまった。
――そんな――っ!
「はなして、はなしてっ!!」
抵抗するが、屈強な男たちによる拘束は全く緩まない。
「転移魔法を発動しろっ」
茶髪の男の指示で、誰かが呪文を唱えはじめる。
足元に魔法陣が現れて、オリバーは体を暴れさせた。
この魔法が発動してしまえば、自分は人質になってしまう。
――それだけは、絶対に嫌だ……っ!!!
「うるせぇ!」
「いっっ……」
振り回していた手をひねり上げられ、痛みで膝をつきそうになる。
「やめろ……っ」
「エリー……!」
弟と親友が懸命に体を動かそうとしているが、まだ魔法は解けないようだ。
――逃げたいっ、逃げたいのにっ。
全ての抵抗を抑えられて、オリバーは唇を噛みしめる。
「頭っ!」
そして、魔法陣が光を帯びて、今にも転移魔法が発動するという時。
手下の一人が驚いた様子で、落ちている本を拾った。
「これは、例の本の下巻です!」
ぱらぱらと中身を見て内容を確信した手下が、喜びの声をあげる。
「コリンズ家にあると思っていたが……こりゃあ、運が向いてきたなぁ」
頭と呼ばれた茶髪の男が、嬉々として本を受け取った。
――なに?? どういうこと……!?
男が手にしているのは、祖母の書いた研究書だ。
何故、この本の存在を知っているのか。
手下の男の口ぶりでは、上巻はすでに持っているようだ。
祖母の本を、どうやって手に入れたのか――??
数多の疑問が頭をよぎる間にも、魔法陣の光はどんどん強くなっていく。
「魔法が解ける前に帰るぞ」
頭の言葉と共に、周囲に光が広がった。
「い、いやだっ……はなして、はなして……!!」
これ以上、アーノルドを苦しませたくない。
自分が人質になるなんて、絶対にだめなのに――!
オリバーの抵抗など意にも介さず、転移魔法が発動する。
それと同時に、人形化の魔法が解けたようで、アーノルドたちが全力でこちらに向かってきた。
「兄さんっ!!」
「エリー!!」
二人が攻撃魔法を放ち、移動を止めようとする。
しかし、転移魔法の発動の方が、一瞬だけ早かった。
「アーニーっ!! スティーブ!!」
オリバーは、向かってくる二人に手を伸ばした。
けれど、その手は二人に届くことはなく――
周囲の景色が、強い光の中に消えていった。
――ああ……。人質に……なってしまった……。
男たちは、大魔導師と助手の命の交換を要求するつもりだろう。
オリバーは、深くうなだれた。
捕まった挙句に、こんな騒動の渦中で、エリオットだと告げる形になってしまった……。
今頃、アーノルドたちは、どれだけ心を乱しているか。
こんなことになるなら、先に口封じの魔法を緩めてもらおうと考えずに、無理やりにでも兄だと主張しておけばよかった。
――僕は、どれだけ馬鹿なんだ……。
捕らわれてしまった絶望の底で、オリバーは心を凍てつかせた。
――この十五年間……ずっと、アーニーを苦しめてばかりだ――……
転移魔法の魔法陣が足元に現れて焦るオリバー
もんのすごく連載が亀の歩みとなっております。
一日置きぐらいの連載と大嘘をついてごめんなさいっ!
これからクライマックスに入っていくのですが、連載は引き続き遅めとなります。
気長にコリンズ兄弟を応援していただけると嬉しいです~!
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