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16話
「兄さん。明日は、一日中ベッドでゴロゴロしてようよ」
ベッドで横になると、アーノルドがぎゅうぎゅうと強く抱きついてくる。
「お休みだし、いいよね?」
「う~ん。一日中?」
「うん! 一緒にトランプとかボードゲームしたいっ。本も読みたいな」
休日とはいえ、やることは沢山ある。
コリンズ家の現状を思えば、エリオットに休みはないと言えるのだが。
丸々とした漆黒の瞳で、甘えるように見つめられると、どうしようもなく断れなくなってしまう。
「……いいよ。全部しようか」
「やった!」
ぐりぐりと胸に頬ずりをされて、可愛らしい仕草に頬が緩む。
「俺ね、夜と休みの日が好きなんだ」
「休みの日は分かるけど、夜はどうして? ゆっくりと過ごせるから?」
「違うよ~」
楽しそうに足をばたつかせながら、アーノルドがクスクスと笑う。
「兄さんと、ずっと一緒にいられるから!」
アーノルドの無邪気な声と共に、はっと意識が覚醒する。
幼い弟との穏やかな夜が霧散して、視界に朽ちた天井が現れた。
今のは夢か……。
そう自覚した途端、弟の温もりに満たされていた心が、空虚なものになった。
オリバーは、ゆっくりと視線を巡らせる。
朽ちているのは天井だけではない。
壁も床も抜け落ちて、ボロボロになっていた。
空気がうっすらとかび臭くて、気持ち悪さに顔をしかめる。
どうやら、古い家にいるようだ。
起き上がろうとして、自分の体が拘束されていることに気づいた。
砂埃まみれのベッドの上で仰向けに寝かされていて、手足を縄で縛られている。
――そうだ……僕は、資料館からの帰りに、盗賊に捕まって――……
転移魔法が発動して、どこかの雑木林に飛んだところで、記憶が途切れている。
暴れたり逃げたりしないように、魔法で眠らされたのだと思う。
捕らわれてから、一体どれだけの時間が流れているのか。
部屋には、自分一人。
窓越しに見える外の様子からして、夜が明けたばかりのようだ。
耳を澄ませると、多くの人の声や足音が聞こえる。
ここは、盗賊の隠れ家か。
かびの臭いが嫌で、浅く呼吸をしながら、オリバーは身を起こした。
今にも壊れそうなほど、ベッドが軋む。
なるべく音をたてないように、手足を縛る縄を外そうとしてみたが、動かすごとにきつく締まっていく。
しばらく格闘していたが、少しも縄は緩まない。
オリバーは、深いため息をついた。
――アーニーは、どうしてるかな……。
弟のことを想いながら、静かに瞼を伏せる。
あれだけ、迷惑をかけまいと思っていたのに。
結局、人質になってしまった。
盗賊は、すでにアーノルドを脅迫しているだろう。
――本当に、情けない……。
自責の念に、胸が締めつけられる。
幸せにすると心に誓った弟を、苦しませてばかり。
役に立ちたいのに、助けたいのに、いつだって足手まといだ。
――それに……兄だと黙ってたこと……怒ってるよね……。
凍りついているはずのエリオットが、姿は違えど、何食わぬ顔で隣にいたのだ。
そして、人質にまでされてしまって……。
怒りを通り越して、呆れているかもしれない。
――もう……僕が土人形だっていうのは、バンフィールド君たちから聞いたと思うし……。
オリバーがエリオットなのはどういうことだと、すぐに事情説明を求めたのが想像できる。
レイたちにも、迷惑をかけてしまった。
自分は、どれだけ愚行を重ねるのか。立ち回りが下手にもほどがある。
――せめて、兄だと知られずに捕まった方が、みんなに辛い思いをさせずに済んだのかな――……
そこまで考えたところで、オリバーの頭の中に閃きが走った。
――いや、違う……。僕が土人形だと、アーニーが知ってる方がいいんだ――!!
どれだけ傷つけられても、この身に死は訪れず、ただの土塊に戻るだけ。
それを知ったアーノルドが、わざわざ命を引き換えにしてまで、盗賊の言うことを聞く必要はない。
土人形は、人質として成立しないのだ。
――だから、アーニーは脅迫を無視して、僕は土塊に戻れば……。盗賊は何もできなくなる――!
逆転の閃きに、喜びの声をあげたくなった。
そうと分かれば、一刻も早く土塊に戻らないと――!
オリバーは、自身を深く傷つけられるものはないか、視線を巡らせた。
血は出ないものの、痛みも感触も普通にある。
進んで体を傷つけるのは恐ろしいが、ここは何としても勇気を出さねばならない局面だ。
部屋の隅々にまで目をやって探していると、ベッドの脇に、朽ちた床板が数枚ほど乱雑に重ねてあるのを見つけた。
これが、ちょうどいいか……。
朽ちて尖った板の端を見下ろして、膨れ上がる恐怖を懸命に抑えようとしていたら、大きな足音が耳についた。
一直線に、この部屋へ向かってきている。
――誰か来る――!!
警戒心をあらわにして、色あせた扉に視線を移す。
それは、すぐに勢いよく開かれて、一人の男が姿を現した。
オリバーを捕らえた者たちの中にいた。
頭と呼ばれていた、茶髪の男だ。
「起きてたか」
「…………」
「よく眠れただろ?」
ベッドの上で半身を起こしているオリバーを見て、頭がからかうように言う。
その声が不愉快で、オリバーは鋭い視線を向けた。
「ゆっくりと体の疲れがとれたんだ。そんなに怒らなくてもいいんじゃねぇの?」
オリバーの怒りを面白がるように笑われて、不快感がどんどん増していく。
「不機嫌な助手殿に朗報だ。今日の正午。お前の大事なセンセーと、コリンズ家で待ち合わせになった」
「っ!?」
最悪な報告に、オリバーは絶句した。
この身は、人質になりえない。
自分が勇気を出して土塊に戻れば、それで終わりのはずなのに。
――アーニー……どうして? 僕が土人形だって、もう知ってるよね? 何で、無視してくれないの?
「本当に……先生は、コリンズ家に行くとおっしゃったのですか?」
「嘘ついてどうすんだよ」
頭は、歌うように言葉を続ける。
「センセーは、俺たちが震えあがるほどぶち切れてたぜ。お前に指一本でも触れたら、殺されそうな勢いだった。大魔導師は人嫌いと聞いてたが、助手殿は大切にされてるんだな~」
「…………」
アーノルドの気持ちを思うと、胸が千々に引き裂かれるような心地になった。
土人形の兄まで、大切にしなくていい。
アーノルドが身を投げうってまで、するべきことではない。
「……私は先生にとって、特別な人間ではありません。何の価値も、魔力もない人間です」
「価値っつーのは、自分が決めるもんじゃねぇ。周りの欲望で決まるもんだ。センセーは必死でお前を取り戻そうとしてんだよ。俺たちは、それを利用するだけだ」
「……っ」
――僕は土人形っ。血すら流れてない、ただの土塊なのに――!!
弟の優しさを利用する盗賊に、頭の中で火花が散るほどの激しい憤りを感じた。
「自分たちが、どれだけバカバカしいことをしているか、理解してますか!? 先生の命を奪っても、共鳴が解ける可能性はごくわずか。どうせ解けやしませんよ。省庁の周辺を荒らすような真似までして。魔法省も官憲も、あなた方を追っています。帝国の宝である大魔導師を害して、上手く逃げられると思っているのなら、その楽観視で身を滅ぼすでしょうねっ」
飴色の瞳に怒りを宿して睨みつけてくるオリバーを、頭は一笑に付した。
「ずいぶんとバカにしてくれるじゃねぇか。騒動を起こす前から、コリンズ家の敷地には結界を張って、誰も入れねぇようにしてある。大規模な転移魔法だって、いつでも発動可能だ。助手殿の心配には及ばねぇぜ?」
「……こんなことまでして、手に入るかも分からない魔力を欲しがる気持ちが理解できません」
「この世界で、魔力は豊かさそのものだ。それが盗めるとなりゃあ、俺たちの血が騒ぐってもんだろ? それに、魔力だけじゃねぇ。センセーが兄貴を取り戻したいように、俺たちだって、仲間を助けてぇんだよ。どれだけ可能性が低くてもな」
オリバーは、コリンズ家に侵入してきた男たちを思い出した。
エリオットとアーノルドからしてみれば、あの二人は全てを奪った憎き犯罪者だ。
しかし、頭にとっては、大事な仲間。
それに、彼らにも待っている家族がいるのかもしれない。
悲しい思いをしているのかもしれない。
けれど……。
「どんな理由があるにせよ、人の命を奪うのは間違っています」
頭は弾けるように笑った。
「盗賊に正論なんか通じると思ってんのか? それこそバカバカしいってもんだ。大切なもんのためには、手段は選ばねぇ。それが俺のやり方だ」
盗賊の乱暴な持論に、オリバーは唇をぐっと噛みしめる。
自分が捕らわれてしまったせいで、アーノルドがこの男たちに脅迫されているのが、悔しくてたまらない。
「まぁ、センセーは殺さなくてすむかもしれねぇけどな。こっちだって、強い魔法使いをそろえてはいるが、大魔導師を殺すとなると、ちっとばかし骨が折れる。楽に越したことはねぇからな」
「……どういうことですか?」
命を奪わないと共鳴は解けないのに、何を言っているのか。
見えない話に、オリバーは怪訝そうな顔をした。
「センセーが共鳴を完全解明したんだってよ。キレーに氷は消してやるから、助手には指一本触れるなってな」
「完全……解明……?」
魔力共鳴の完全解明。
それは、アーノルドの悲願であり、人生をかけて挑んでいる命題だ。
歴史上、何人もの研究者が諦めてきた難題でもある。
いくら天才のアーノルドとはいえ、そう簡単に成し遂げられるものではない。
コリンズ兄弟は二度と会うことはできないと、断言する人もいるぐらいなのに……。
驚愕しているオリバーの様子に、頭は大仰にため息を吐いた。
「やっぱり、センセーのはったりかよ。助手が完成を知らねぇって、ありえねぇもんな~」
「いえ……。私は研究に関わってなかったので……」
「真っ赤な嘘ならそれでいい。最初の計画通り、センセーを殺すまでだ」
「…………」
嘘……なのだろうか。
実際、研究の進捗状況は全く知らなかった。
いつ完全解明していても、おかしくはないと言える。
しかし、そんな素振りは一切なかった。
資料館に行く日も、アーノルドは外出する直前まで机にかじりついていた。
――でも、アーニーが、こんな嘘をつく必要があるのかな――……
混乱する頭で考え込んでいると、一体の従魔が二人の前に現れた。
小さなヘビのようなそれは、何かを頭に伝えている。
「コリンズ家の魔力を奪う準備も、しっかりと整ったようだな」
祖母の研究書を解読した手下からの伝言だったらしく、頭は機嫌よく従魔を撫でた。
持ち帰る前に資料館でちらっと目を通しただけだったが、あの研究書は、きちんと完成していたらしい。
「お前らが持ってた下巻のおかげだなぁ。あとは共鳴を解くだけだ」
頭の笑顔に、悔しさが膨らんでいく。
そして、捕らわれた時に生じた疑問が、再び脳裏をかすめた。
「……どうして、コリンズ家のお祖母様が遺した本の存在を知っているんですか?」
転移魔法が発動した時、手下の男は当然のように下巻を拾っていた。
両親でさえ、先祖と祖母の研究を知らなかったというのに。
何故、盗賊が知っているのか。
「そんなことが気になんのか? 大魔導師の助手は知りたがりだな~。いいだろう。今は気分がいいからな、話してやるよ」
全てが首尾よく運んでいることに気をよくしている頭が、楽しそうに事の経緯を話しはじめた。
「俺の親父は、カーチス家で働いていた」
カーチス家は、リントンにある祖母の生家だ。
コリンズ家と同じ男爵位の家柄で、国境近くの大きな街に居を構えていたと記憶している。
「コリンズのばあさんが死んだ時に、コリンズ家からカーチス家に遺品が送られたようでな。物置で偶然それを見つけた親父が、箱の中をあさったら、上巻があったんだ」
その遺品を送ったのは、たぶん両親だ。
形見の一部を、故人を偲ぶ気持ちを込めて、生家に送ったのだろう。
その中に、研究書の上巻だけが紛れ込んでしまったのか。
「親父は内容を知らずに盗んで、仲間の魔法使いに解読させたんだ。すると、コリンズ家に、バカでかい魔力が封じられてるって分かってよ。俺らで手に入れようってなったわけだ。十五年前に家が凍っちまって諦めてたが……。共鳴させた奴が死ねば解けるかもって耳にしてな。そうなると、再挑戦したくなるだろ?」
これが、リントンの盗賊団に我が家が狙われていた理由か。
五代前の当主であるショーン・コリンズが遺した、莫大な魔力。
それを引き継ごうとした祖母の亡き後。彼女の研究書の上巻だけが生家に送られ、偶然にも盗賊の手に渡ってしまった。彼らは、強大な魔力がコリンズ家に封じられていると知って、十五年前のあの夜に、我が家へと侵入してきた。封じられた魔力の在り処と、下巻を探すために。
きっと、時止めの魔法を使ったのは、捜索に専念するためだ。
そして、突如として起こった魔力共鳴。
エリオットは家ごと凍りつき、アーノルドは孤独の中へと放り出されてしまった。
「……そんなの、絶対に上手くいきませんよ……」
オリバーは低い声で言った。
怒りが、心を焼き尽くしてしまいそうだ。
弟との十五年間を奪われた憎しみが、胸の奥から激しい勢いでせり上がってくる。
「あなた方のくだらない欲望のせいで、アーノルドは……っ」
激情は涙となって、兄の頬を伝う。
「……っ……僕たちの十五年を返してください……返してっ……今すぐ返してっ!!!」
「何でお前が泣くんだよ」
嗚咽を漏らしながら憤る助手に、頭は不可解そうに眉をひそめた。
「世の中には、奪う奴と奪われる奴しかいねぇんだ。泣いて返せと喚くぐらいなら、奪われるほど弱かった自分を恨むんだな」
頭の言葉に応えるように、扉がたたかれる。
手下が迎えに来たのだろう。
軽く返事をすると、頭は扉へと向かった。
「俺は、何度も運を味方にしてきた。今回だって同じだ。完全解明の真偽に関わらず、最後に笑うのは俺たちだからな」
頭は勝利の宣言をすると、従魔を連れて部屋を出ていった。
「アーニー……アーニー……っ」
弟の名を呼びながら、オリバーは瞼を閉じた。
涙が止まらなくて、ぐっと奥歯を噛みしめる。
土人形の兄を、アーノルドが助けようとしていること。
先祖や祖母の大切な研究が、盗賊に奪われてしまったこと。
あんな男たちの欲望ために、十五年という長い月日が凍りついてしまったこと。
全てが、オリバーの心を押しつぶそうとしてくる。
そして、無力な自分への失望感が胸を覆っていた。
――アーニー、スティーブ……ごめん、ごめんね……。
飲み下せない罪悪感が、涙と一緒に溢れてくる。
今日の正午。弟はコリンズ家に行ってしまう。
魔力共鳴は完全に解明されたというが……。
それが真実なら、飛び上がるぐらいに嬉しいことなのに。
盗賊にとっても同じだと思うと、素直に喜べなかった。
――アーニー……。本当に共鳴は解明したの? どうして……土人形だって分かってるのに、無視しないの?
アーノルドが脅迫に応じたとなれば、土塊に戻っても、さほど意味はない。
土人形がいようがいまいが、今日の正午に盗賊と大魔導師は相対してしまうのだから。
とことん無力な自分に、オリバーは泣きながら笑いたくなった。
これ以上、迷惑をかけたくない。けれど、自分がどう動けばいいのか分からなかった。
武力も魔力もない身で、この家から逃げられるとも思えず、ただ時が過ぎるのを待つしかできそうにない。
――コリンズ家は……僕たち兄弟は……一体、どうなってしまうのかな……。
あらゆる感情が胸の中を掻き乱して、何も考えられなくなっていく。
オリバーは、流れる涙もそのままに、縛られて痛む四肢を縮こまらせるのだった。
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