年下王子の重すぎる溺愛

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第2話 伯爵令嬢の憂鬱  その日は早めに就寝して、翌日のお茶会に備えた。お茶会は殿下と私の二人だけらしい。勿論メイドや、侍従が傍に控えるけれど、それはいないものとして扱われる。未婚の男女が密室に二人きりになる事は避けるべき事で、それは婚約者の場合でも例外では無い。  私と殿下は発表こそまだだけれど、事実上の婚約者同士。しかも、知らされたのは今日で、お茶会はすぐ明日なのだ。あまりに急すぎる展開に、私の頭は混乱していた。婚約発表だって三日後だなんて、何をそんなに急いでいるのか。  そんな状況とはいえ、初めてのお茶会が二人だけという事は滅多に無い。普通なら、他の子息令嬢や介添人が同行するのが通例だ。それなのに、いきなり二人きりだなんて。  緊張もあったのか、早い時間に目が覚めてしまった私は朝食を済ませると、早速ネフィに捕まり、昨日と同じように浴室に連れ込まれ、丁寧に磨きあげられる。爪の先まで整えられて、コルセットを縛り上げられた。それから鏡の前に座らされると、お化粧を施される。今回はお茶会だから、うっすらと派手にならないように。  そして運ばれてきたドレスを見て、私は驚きを隠せなかった。淡い紫の艶のある生地は、手触りも滑らかで一見して極上品だと分かる。プリンセスラインのドレス全体に、金の糸で細やかな刺繍がふんだんに使われていて、首周りは大きく開いているけれど、上品さを損なわずシンプルに仕立てられていた。袖は七分丈で、肘から先にたっぷりとレースがあしらわれている。このレース一枚で、どれだけの値がつくのか想像もできない。  単なるお茶会に、こんなドレスを殿下が用意するなんて思ってもいなかった。  それに合わせて贈られた装飾品も、どれも素晴らしい物ばかり。チョーカーには銀で象られたクルクマの花が咲き乱れ、その中心に大きなアメトリンが埋め込まれている。この花は確か殿下の花紋だったはず。アメトリンだって希少な石だ。アメシストとシトリンが混ざり合い、独特な美しさを放っている。それを婚約もまだ正式に発表されていない私に贈るなんて、少し軽率ではないかしら。そう言うと、ネフィは呆れたように零した。 「それだけ殿下はリージュ様にご執心なのです。これほど見事なドレスをお贈りになられるのですもの。夜会用のドレスも拝見しましたがもっと凄いですよ。それにこの色も。殿下は既にリージュ様を王族としてお考えなのです」  紫は王家の象徴とも言える色だ。耳飾りや髪飾りにも使われているそれを見て、殿下が本気なのだと思い知る事になってしまった。金色も、殿下の髪の色だと父に聞いてる。輝く金の髪は艶やかで波打ち、まるで天使のようだと。それらの色を使った衣装は独占欲を表していた。  殿下はまだ十三歳になられたばかりだと言うのに、やる事が大人びていて、私の方が年上なのに惜しみない愛情を感じ頬が熱くなる。  多くの装飾品のその中でも、特に目を引いたのが指輪だ。小ぶりだけれど、ダイヤの花の中心に黒い宝石が鎮座している。最初は何か分からなかったけれど。 (待って、これって、まさか、もしかして幻瞳迦(げんとうか)……?)  そう思って陽に当ててみると、七色の不思議な輝きを放つ。その光で確信を持った。  幻瞳迦。それは、太古に世界を満たしていた魔法の名残りだ。かつて魔石と呼ばれたそれは、この世界に当たり前にあった。普段の生活にも利用されていたその石も、現在では遺跡でごく稀に出土する物しか入手経路は無い。希少価値が高く、目が飛び出でるような値が着く幻とも言われる宝石。  競売に出されるさえも稀で、幼い頃に外商の宝飾屋が一度だけ、持ち込んだ事があった。それも小指の先程の小さな粒で、金貨百枚は下らない。その外商も商品としてではなく、客引きの道具にしているようだった。それでも、一目見た美しさは脳裏にこびりついている。間違えようもない。  それは国宝にも劣らない代物。周りを縁取るダイヤだって、粒が大きく透明度が高い。一体幾らするのか、想像するだけで頭が痛くなる。殿下には申し訳ないけれど、こんな高級なもの身につけるなんて怖くてできない。でも、贈られた物をつけて行かないのも失礼になってしまう。  そしてもうひとつ、大きな問題が。それはどの指に嵌めるのが正しいのかという事。  婚約を打診されているのだから、左の薬指にするべきなのか。でもそれは図々しい気もする。父の言葉では既に婚約は結ばれているようだけれど、まだお会いした事さえ無いのだから。  私は悩んだ挙句、指輪を右手の薬指に嵌める事にした。なんと言っても国宝級の指輪なのだもの。すんなり嵌った宝石を見ると手が震えてしまう。  その間にも準備は着々と進む。  髪を編み込み、シニョンに纏めると頂いた髪飾りを刺す。これもクルクマの花の意匠にアメトリンが散りばめられていた。耳飾りも揃いの意匠。  姿見の前に立つと、全身殿下色に染まった私がいた。この国では、特に瞳の色を重要視する。それは家系によって色濃く現れるから。紫は王家の色。我がフェリット家は暗褐色が多い。父も赤みを帯びた褐色の瞳だ。  煌びやかなドレスには、私の地味な容姿は釣り合っていない。せっかく用意してくださったのに、申し訳なさが込み上げてくる。もっとこのドレスに見合う姿なら良かったのに。殿下も衣装に負けている私を見れば、婚約を破棄するかもしれない。ただでさえ歳が慣れているのだから、それも覚悟しなければならないだろう。  王族に見限られれば、私の人生は暗い物になる。最悪一人で生きていかなければならない。実家である伯爵家は従兄弟が継ぐ事になっているから、両親にいつまでも世話になる事もできない。  まず思い浮かぶのは、事業を立ち上げ独り立ちする事。父の領地経営を手伝うつもりで勉強してきたけれど、商才となるとまた話は違ってくる。商売には伝手(つて)が物を言う。付き合いのある商家はあるけれど、家を離れ、なんの取り柄も無くなる私では門前払いが関の山だ。  それならば、侍女として公爵家や侯爵家に仕えようか。でもそれも一時的とはいえ、王家の婚約者になった私は目の上のたんこぶかもしれない。仕えるなら令嬢のお世話を仰せつかるはずだ。これでも伯爵令嬢なのだから、下女になる事は無いと思いたい。しかし、きっと私は邪魔者だ。いつまた殿下の気が変わるともしれないのだし。  ならば残された道は家庭教師か。ありがたい事に父はあらゆる学問を学ばさせてくれた。貴族令嬢には不要とされる歴史や算術、料理や裁縫まで。中々婚約が決まらない私に対する、せめてもの温情だったのだろう。これなら子供相手に十分教える事ができる。算術なら男の子に、裁縫なら女の子に需要があるはず。それが一番いいように思えた。  うん。  そうだ、それがいい。  私の中では、既に婚約破棄される事が決まっていた。なんと言っても殿下はまだ十三歳。十八の私なんておばさんだろう。お披露目の夜会には、同じ歳の令嬢も多く参加する。それを見れば目が覚めるはずだ。  今は浮かれて、こんなに素敵な贈り物をしてくれているけれど、もしかしたら返却を要請されるかもしれない。夜会用のドレスはまだ袖も通していないし、新品のままお返しできるだろう。だからこのドレスも、汚さないように気をつけなければ。  一通り試着が済んで、一度部屋着に着替える。お茶会は午後からだから、ドレスで過ごす訳にもいかない。時間までは読書をして過ごした。  その間に考えるのは、やはり殿下の事。  普通なら、王子様からの求婚なんて夢物語だろう。でもそれだって、運命の出会いがあってこそ成り立つものだ。顔を合わせた事も無いはずの、五つも年上の私に何故殿下が求婚するのか、さっぱり分からない。それに万が一、私をご存知だとしても、王妃となるにはそれ相応の知性が求められる。私は一般以上の学問を修めているという自負はあるけれど、王妃ともなればそれだけでは足りない。大勢いる貴族の為人(ひととなり)、各領地の経営状態、国庫の把握。それら全てに精通し、的確に采配しなければならないのだから。国王が中心の国家とはいえ、ただ着飾って座っていればいいというものでは無いのだ。  王が男性貴族の頂点とするならば、王妃は女性貴族の頂点。女の世界は醜い。少しでも他の女性より優位に立とうと画策し、王妃の座さえ虎視眈々と狙う。私はただでさえ地味なのだから、そう考える令嬢は多いだろう。それを思えば気が重い。筋違いにも、殿下を恨んでしまいそうだ。  でも殿下はまだ幼い。そこまで気が回っていないのかも。もう立太子されるのだから、帝王学も学ばれているはず。それでも、実際の女の修羅場はご存知ないと思う。殿下は三人兄妹のご長男だ。下に二人の姫君がいらっしゃる。男児はお一人だから、跡目争いも無く、ご兄妹の仲も良い。国王陛下も、たったお一人の王妃様を大事になされて、他国で聞くような側室との(いさか)いも無く、このカイザークは王室が誠実なのが売りだった。  でも、ここ最近は宰相が代替わりして、少々きな臭い。宰相は陛下の重鎮を、自分の配下で埋めようとしていた。それを易々と許す陛下ではないけれど、相手は宰相。それなりの発言力を持っている。大臣達も力になってくれるけれど、陛下だけで抑え込むのは難しい。  そこで台頭するのが王太子殿下だ。殿下の後ろ盾は、隣国の王女だった王妃様。もし宰相が謀反を企てても、隣国の助力が得られる。宰相は公爵だ。一国の主にも成れる財力があった。領地を独立して、建国する事も可能なのだ。  そんな拮抗した勢力図に、伯爵家の娘を嫁になんて無謀が過ぎる。せめて侯爵家の令嬢、もっと磐石(ばんじゃく)にするなら他国の姫君を迎えるのが賢いやり方だ。フェリット伯爵家では領地もそこまで大きくないし、自警団も大した兵力にならない。  それなのに、何故私なのか。うちを取り込んでも、大した旨みは無いはずなのに。  殿下は十三歳にも関わらず、(まつりごと)にも積極的に携わっていらっしゃるらしい。中々のやり手で、宰相の牽制も立派に(こな)しているとか。国内の治水や各領地の手入れ、貴族の汚職も厳しく取り締まわれ、立派にお勤めを果たされている。だからうちの財政もご存知のはずだ。  順調な領地経営をしていると言っても、伯爵家の中では末席だ。元々子爵家だった我が家は、曽祖父(そうそふ)の代に起こった大きな戦争で戦功を上げ、伯爵位に陞爵(しょうしゃく)された。祖父も父も、そんな曽祖父にしごかれ、騎士団で活躍している。祖父は一線を退いたが、今でも相談役の一人として王宮に出仕していた。  そんな権力争いには向かない、私への求婚。何か利があるのだろうか。考えれば考えるほど分からない。  そうこうしているうちに時間は迫る。  何度目とも分からない溜息を吐きながら、昼食を終え、改めて盛装すると戦場へと赴いた。
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