俺の嫁

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俺の嫁

 女は突如として現れた。  その日は神殿で、巫女の精霊召喚の儀が行われていた。  半年前に先代から族長を引き継いだ俺は、昔からの習わしで俺たちの縄張りである草原を含んだ土地一帯の領有権を主張する国に数日前から滞在していた。  人の縄張りを、手入れもしないようなやつらが所有権だけ主張する。おかしな話だ。あれも欲しいこれも欲しいでは、いつか身を滅ぼすことだろう。  とはいえ無益な争いは避けたい。責任の所在を明らかにするうえでも、族長交代についてはしっかり相手方に伝える必要がある。  先代は頭の固い年寄りだった。俺の祖父だから、よく知っている。そいつに比べれば俺なんかは扱いやすく見えたのだろう。馬を捨て、文化的な暮らしをするように、あたかもこの国が極楽かなにかのように誘いを受けた。  ようは、縄張りを手放し、この国の国民になり、税を納めよとのことである。俺たちの所有する牛や馬だけでもそれなりの財産になる。もちろんお断りだ。  用件だけを告げて草原に帰ろうとしたところに、精霊召喚の儀があった。 「十年に一度なれば、ぜひ見ていかれてはいかがでしょう。巫女も精霊も、滅多に人の目に触れるものではございませんゆえ」 「あー。まあ、土産話にはなるか。つまらなければ途中で帰るぞ」 「お頭っ!」  縄張りを出ても俺から離れることのないトウマがギャンと喚く。  だが、俺にとって、いや、俺たちにとって、精霊とは珍しいものでもなんでもないのだから、教会とやらに胡散臭さを感じてしまうのはどうしようもないことだった。 「精霊なんて、その辺にふよふよいんだろうが。なんでわざわざ呼ぶんだよ」 「お頭っ、声が大きいっす!」 「お前も変わらねえよ」 「ええっ!?」  しかも会場とされたのは、精霊よりも悪霊が好みそうな薄暗い建物。屋外にも関らず、作りかけの屋根のような壁が採光を邪魔していた。外から見れば、作りかけの巻貝のように見えることだろう。 「あれが巫女だってよ」 「なぜみなさん、シーツをかぶっているのでしょうね」 「さあな」  精霊は澄んだ気を好む。それをわざわざこんな陰気な演出で、召喚の儀を行うというのだから、胡散臭さが半端ない。  巫女は八人いた。全員が同じ格好をし、順番に聖なる火とやらの前で精霊と契約を結んでいる。 「どうだ?」 「んー。人間って変な生き物ですよね」 「ははっ、違いない」  二人目の聖女が精霊契約を結んだのを終いに、俺は帰路につこうとしていた。 「あれ?」 「ああ?」  だが、八人目の聖女の後ろ、誰もいないはずのそこに、影が現れた。俺は目を凝らすために、浮かしかけた腰を再度下した。 「精霊か?」  精霊なんて気まぐれで、気が向いたときに気が向いた場所に現れる。  ゆらゆら揺らいだ影がしっかりとした質量を持つ。そこにいたのは、巫女たちとは別の趣向で妙な格好をした女だった。  なにもない場所に、精霊でもないものが現れたのに、誰も注目しない。この国の人間は、よほど見る力がないときた。 「お頭?」 「ありゃ、なんだろうな」  知らず声が弾む。  おどおどしつつも、騒がずその場に馴染もうとする姿は、それなりに知恵を持つものだ。巫女たちの肩までの背丈しかなく、妙ちくりんな格好をしているが、ガキではなさそうだ。邪気も感じないから、悪霊の類ではない。  なにをしたいのか動向を見守っていると、巫女の真似事を始めた挙句、そいつは、はぐれの精霊を呼び出しやがった。 「おお?」  はぐれの精霊。  精霊には系統がある。竜だったり、羽のある水妖精だったり、トウマのような人型だったり様々だ。  だけどときおり異形のものが生まれることがある。それがはぐれだ。  はぐれは珍しい。自分と似たものを生涯探し続け、この世界をさまよい続けるのだといわれている。  草原を駆けて、狩りをして生きる暮らしに不満はない。長として、多くの命に責任もある。だが、俺の人生は俺のものでもある。一度の人生、生ききって終わりたい。 「――いいな、あれを嫁にしてみるか」  突然現れた謎の女に、はぐれの精霊。なんて愉快な組み合わせだろう。 「ぶわっふ、ワハハハハハ!」  我ながら天啓のような閃きだ。これからの人生、今まで以上に楽しくなるだろう。思わず声を上げて笑う。  そんな俺を、妙な格好をした女は、遠く離れた場所から不安げに見つめてきた。  媚びとは違う。ただ、不安を隠しきれていないその瞳。 「いいな、その目。守ってやりたくなる」  こうして俺は嫁を見つけた。  名前も聞かぬまま攫った嫁は、たいそう愛らしい女だった。  干し肉をチビチビと齧り、ほんの少しのスープで腹が苦しいと訴え、草むらから鳥が羽ばたく音に怯えて眠れない。  踊り子のような丈の生地を腰に巻き、大胆に脚を出しておきながら、こちらが汗を拭くために胸元をはだけただけで真っ赤になって狼狽える。  肩を抱けば飛び跳ね、頭を撫でれば呼吸を止め、腰を抱けば必死に逃げようとする。  縄張りの女たちよりもだいぶ大人しい。かと思えば、会話をするのは好きらしく、あれはなんだ、これはなんだと多く聞いてくる。 「嫁、お前、名前をなんという? 俺はガライだ」 「ふふっ。いまですか? 花、秋月花っていいます」  ハナは俺が見初めて、俺が勝手に嫁にした女だ。  ハナは、生涯俺の嫁であった。あの日攫うように嫁にした女は、婆さんになって精霊の庭に旅立つまでずっと、俺の嫁であることを一度も否定しなかった。
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