2話 母の死

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2話 母の死

1979年5月1日 朝、リビングに行くと父と母が話をしていた。 内容は… 夜中に電話が鳴った話 兄は工業高校に行ったが、バイクに乗ったり 夜も帰らなかったり… いわゆる不良だった。 夜中に電話が鳴ったのは、警察からだったらしい。 兄を保護したと言われ、父が迎えに行ったとのこと… こんな兄のことに対しても母は、すごく心配をしていた。 兄は、私とは違う後悔をしていたのだろう。 あと3日で、母は倒れる。 そう思いながら一日を過ごした。 学校に行き朝練をして授業を受け、またクラブに行き家に帰る。 当時の祝日は、5月3日憲法記念日。 5月5日は、こどもの日。 現在のみどりの日は無く、飛び石連休だった。 5月3日は親戚が来て、夜みんなでごはんを食べた。 わいわいと楽しい1日を過ごしたが 私の心は、明日のことでいっぱいだった…。 明日は、母が倒れる日。 私は、本当にあの日取った行動をとれるのだろうか。 母を助けたいという気持ちがないわけではない。 でも、57歳の私の幸せのために、同じ行動をとるしかない。 そう考えながらいつの間にか眠りについていた… 翌日、父に起こされ目が覚めた。 父が「お母さんの具合が悪いから、先生を呼んでくる。お母さんをみていて」 私は寝ぼけながら「わかった」と答えた。 当時の私は、今日学校だったと気付いて 朝練に行かないといけないと思い、支度を始めた。 母の具合が悪いと言っても、風邪程度のものと思っていたから。 母はその後、起き上がり普段着ないブラウスに着替えトイレに行った。 後でわかったことだが、母は脳溢血で倒れ、その後トイレで二度目の発作をおこしていたのだ。 その後は、意識不明。 3日後の7日に亡くなった。 これから、その出来事が始まる。 母が助かれば、過去は変わるかもしれない。 そうすれば、これから起こる長く苦しい過去もなくなるかもしれない。 でも、目をつむれば「あの人」の笑顔が浮かぶ。 過去が変われば、「あの人」に会うことは出来ないかもしれない。 そう考えているうちに 母は起き上がり、余所行きのブラウスを着始めた。 「おかあさん、大丈夫?」 と母に尋ねるが、母は何も言わない。 これから母はトイレに行く。何とか止めなければ… でも、どうやって止める?私の力で止められるのか… 兄は、昨日から帰ってないから、一人だ。 そう考えている間に、母はトイレに行ってしまった。 私は、トイレを開けることもできずに、ただ立ちすくしていた。 父が帰って来て、「お母さんは?」と聞かれ 「トイレに行ったよ」と答えるしかできなかった。 結局、母は近くの病院に運ばれた。 それからのことは、あまり覚えていない。 私には結局…後悔しかなかった。 5月7日の朝。 病院に行くように言われ、母のそばに行く。 母の意識はそのまま戻らず、息を引き取った。 最後に母の目から涙がこぼれた。 苦しくて苦しくて… 一度目の人生よりも苦しかった。 また、助けられなかった。 でも、薄情な私は これで良かったんだという気持ちも大きかった。 「あの人」に会うためだ。 そう、思うしかなかった… 私は、これから起きる壮絶な人生に 立ち向かえるのか不安になった。
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