挑戦者は何を想う

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 ***  十五歳年下の妹、もなかが小説家を目指し始めたのは、紛れもなく私の影響だろう。  彼女が十歳の時、私はとある小さな出版社で受賞した。そして、ちょっとした本を出版した。  零細企業であったので本屋に並ぶことはなかったし、あくまで通販でのみの販売だったが、それでも家族や親戚は喜んでくれたものである。私も、子供の頃の夢が一つ叶って嬉しかったのを覚えている。  私が大きな出版社の賞を取り、そこから本を出せるようになったのはさらにその五年後のこと。うちの家族はすぐお祝いしたがる質だったこともあり、その時もその時で親戚中から賞賛の言葉を貰ったものだった。ちょっと高い焼肉を驕ってもらった記憶もある。私が結婚せず、いつまでも家にいたというのもあるだろうが。  まあ、そういうのを見ていたら、小説家というものにキラキラとした憧れを抱いてしまうのも無理はないかもしれない。  まだ本屋大賞だの直木賞だのみたいなものからは遠いところにある底辺作家だが、それでも一応本はそれなりに売れているし、検索すれば評判(良い悪いはともかく)が引っかかってくる程度の作家にはなったのだから。 『あたしもお姉ちゃんみたいに小説家になる!楽しいお話いっぱい書いて、みんなに読んで褒めてもらうの!』  十歳で、彼女はそのように宣言した。  今思うと、その時点でちょっと“ん?”と感じる発言ではある。彼女はそれまで漫画を読むことはあっても、活字はほとんど読む少女ではなかったからだ。本当は漫画家になりたかったらしい、というのも知っている。が、漫画家になるには当然画力が必要で、彼女はそれが致命的に欠けていた(そして欠けているものを補うほどの情熱が絵にはなかったということらしい)。  彼女がやりたかったのは、自分が考えた世界を一人でも多くの人に知ってもらうこと。それを認めて貰うことだったのだろう。  小学生から小説を書き始めたのは立派だし、公募へ挑戦し始めたのも凄いとは思う。  が、残念ながら、公募の世界はそう甘いものではない。彼女は当然のように落選を続けた。  初挑戦の公募でいい結果が出るはずがない。どうやらそんな当たり前のこともわかっていなかったらしい彼女は、とある小説投稿SNSの短編小説コンテストにまったく引っかからなかったことにギャン泣きし、私に愚痴を言いまくった。それを宥めるためにファミレスに連れていったのが、この“残念でした回”の始まりであったように思う。
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