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「この間、少し、私、安心しました」
「安心?」
「だって、あなたがあんな風にお友達とおしゃべりなさるなんて思わなかったんですもの」
ははは、と彼は笑う。
宇田川と会うのは二週間ぶりだった。夏休暇ももうじき終わろうとしている。日比谷公園の木陰で待ち合わせをしていたら、頬を軽く秋風がよぎった。
そのまま二人は、何処に行くともなく、話しながら歩いていた。
ハナとはずっと会っていない。
毎日が変わり映えしなく、ようやく彼が連絡をしてきた時には、ぱっと視界が明るくなったようだった。
「それはまあ、学生時代の友人と、あなたと話す時の口調が同じではいけないでしょう」
「何故ですの? 私が社長の娘だから?」
「まあそれもあります」
正直なひとだ、と多希子は思う。
「でもそれと同時に、あなたが女性だから、ということもある。それもできれば、好意を持ってもらいたい対象として」
「それは、私のことを好ましく思っている、ということですか?」
「はい」
「どうして?」
さて、と彼は一度首を傾げる。
「まあ率直に言ってしまえば、当初は『いい縁談』ですね」
「本当に正直なひと」
「だけど、どうしても合わないひとだったら、すっぱり断ろうとは思っていました。何せ僕はああいう気性で。友達には結構ずけずけとものを言ってしまって、時々恨まれることもあったし」
そんなことが、と多希子は肩をすくめる。
「だからまあ、最初会った時は、ちょっとなあ、と思ってたんですよ。上手いこと口実つけて、断ってしまおう、と。まあ確かに社長の令嬢、というのは美味しい。だけどつまらない相手だったら、それで一生過ごすのは出世よりつまらないよなあ、と思ったんですよ」
本当にずけずけ言うな、と多希子は思う。だがずけずけと言われるだけの相手に、自分がなっているのか、と思うと少しこそばゆい気持ちがした。
「出世なんていうのは、別に女性の手を借りずとも、色んな方法でのし上がることも可能でしょう。それもできないというのは、僕のポリシイに合わない」
「大胆な御発言」
「どうも。だけどあなたが、建築の話を振った時、建築家になりたい、と言われたから」
「え?」
多希子は思わず問い返していた。
「それまでのあなたとの会話は実に退屈だった。まあ実際あなたも退屈じゃなかったですか?」
図星である。
「そんなに違っていましたか?」
「ええ。まるで。そう、大陸で会った女性達の中に、時々そういう方が居ましたね」
「大陸に」
「こっちでは色んな制約があってできないことが多い女性が、大陸に飛び出してきて、必死でその道を探そうとしていたりします。他にも、欧州から渡ってきた女性とか、民国でも都会の女性の中には居ましたね」
「私本当に、視界が狭いんですね」
「や、視界が狭いのはあなたのせい…… も多少はあるけれど」
「……」
「でも大半は環境のせいですよ。目隠しされていては、見られないものが往々にしてある。そんな中で夢を見られることの方が、よっぽど凄い。あの日比野と一緒に居た彼女、が前にあなたの言った洋裁師になりたい子でしたよね?」
「ええ」
「彼女のように、働くことが当然の階級に生まれ育ったなら、ある程度そういう夢は見られるんですよ。周りにお手本があるから。だけどあなたはそうではないでしょう」
確かに、と多希子はうなづく。
「だとしたら、意志としては、あなたのほうが、強いかもしれない」
「誉めすぎですわ」
多希子はうつむく。そして少しの間、二人の間に沈黙が行き過ぎた。
「宇田川さん、あなたにお聞きするのは失礼なことなのかもしれません」
「どうぞおかまいなく」
「だって私は、確かにこうやってあなたとおつきあいしていますけど、結局は今結婚がどうこう、なんて考えたくないんです」
「それはそうでしょうね」
「だからそういう相手、として紹介されているあなたにお聞きするのは、見当違いなのかもしれないですけど」
「どうぞ」
多希子は立ち止まり、ぱっ、と彼の方を向いた。
「どうしたらいいんでしょう? 私」
「どうしたら、とは?」
彼もまた、足を止めた。
「何とかしたいのに、私の悪い頭では、考えが手詰まりなんです。建築家になれるかどうか、でなく、なりたいから、その方法を探しているのに、その取りかかりが私には分からないんです。私が目を閉じているだけなのかもしれないのですが、その目の開き方が分からないんです」
それこそ、目隠しをされていたから、急にそれをはぎ取られても、どうやって周囲を見渡せばいいのか、判らないのだ。
彼はしばらく黙っていた。何を考えているのだろう、と多希子は思ったが、その表情からは読みとることができなかった。
「少し、座って話しましょう。そこの、松本楼ででも」
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