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「婚約の話、お引き受けいたします」
おお、と両親はその時、露骨に嬉しそうな顔をした。
「ただ、やはり建築家の妻となるのでしたら、それなりに話ができる家庭であるほうが、円満ではないかと思うのですが」
「ふむ、それはそうかもしれないが」
宇田川に学校のことを聞いた日の夜、多希子は両親にあらためて話がある、と切り出した。
あくまで、冷静に。そしてちゃんと頭の中で組み立てて。
「ですから、N女子大学の家政学部に進学したいのです。そこには建築のことを少しは学ぶこともできるようですから」
嘘ではない。ただ、目的がやや違うだけで。
一ノ瀬氏は、そんな娘に訝しげな顔を向けた。
「そんな学問などわざわざ苦労して勉強しなくとも、お前は良き妻良き母になれると思うがな。女学校でもいい成績だった。それで充分だろう?」
父親は当然のように、そう言った。ここがふんばりどころだ、と多希子も思った。
しかしそれに反論したのは、夫人のほうだった。
「あなた、多希さんのいい様にさせてやってくれませんか」
「何だねお前まで」
一ノ瀬氏は、眉を強く寄せた。ここで妻が反論するとは思っていなかったのだ。
「悪いことでは無いと思いますのよ。ええ、お家のことでしたら、私もおいおいお教えしていきますから」
夫人の気持ちを推測することは多希子にとってそう難しくはなかった。
せっかくまとまりかけている縁談を壊したくはない。
それにさすがに母親を長くやっているだけあって、こういう所で反対されると、婚約そのものが駄目になってしまうかもしれなかった。彼女の知る多希子の性格からすれば、その可能性は大きかった。
夫人も何度か会ったあの青年が多希子の婿になるなら願ったりかなったりだった。それでまた別の、となると、それもまた厄介である。
いい縁談で、娘の気持ちも向いているのなら、数年また学校に行かせることくらい、大したことではない。そして、本当に必要なら、学校など辞めさせればいい、と思っていたのだ。
もっとも、そんな母親の気持ちまで、多希子が計算に入れていた、などと、この人のいい夫人は思わないのだが。
多希子は無論辞めさせられる可能性も考えていたし、その時にはまた闘わなくてはならないことは判っていた。しかしそれは後のことだ。とにかくは、入らないことにはお話にならない。
入るためには、母親は必ず味方になる、と踏んでいた。
両方を揃えて「お話が……」と切り出したのは、そのためだったのだ。
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