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父親の一ノ瀬氏は多希子には優しいが、同時に厳しい。
銀座に一人で行くことにしても、何らかの目的がそこにあれば見逃してくれるが、何の意味もなく「ぶら」つくことに関しては、決していい顔をしない。
そのあたりは、まあよくある父親だ。
いや、普通よりはずいぶん甘い。
ただその父親が「よくある」人と違うのは、建築会社の社長だ、ということだった。
この日の多希子の「用事」は、その会社の方へ書類を持っていくことだったのだ。
自宅付で届けられた海外からの資料を、学校帰りに届けること。
出向いたら、社長室はちょうど来客中だった。
何でも、大陸の方から戻ってきたばかりの建築事務所の人々だという。
そのうちの一人は結構若かったが、どんな人物だったのか、までは彼女もよくは覚えていない。
多希子が自室に入った頃、家の扉が勢い良く開いた。
「ただいまお母様っ。あら、ピアノの先生のお靴。お姉さまもうお帰り?」
妹の由希子だった。
「何ですまた靴をばらばら…… まああなた、髪がずいぶん乱れてますよ」
「ええっ? ああでも仕方ないわ。今日はテニス部のほうで、練習試合があったの」
「あなたはもう…… 多希さんを少しは見習いなさいな」
夫人は思わず頬に手を当て、ため息をつく。
いつものことだった。
「いいのよ~ だって私はお姉さま程頭良くないし、不器用だし~ だったら明るく健康がいちばんだもの」
「明るく健康、はいいですけどね…… ふう」
妹の由希子は、三つ違いの女学校二年だ。
父親の方針で、この二人は同じ府立の高等女学校に通っている。
姉は私立の女学校だったのだが、そこの空気は必要以上に娘に贅沢を覚えさせた。
資産家の所に嫁いだから良いものの、下の娘達は、あまりその風潮に染めたくはない、と実直な社長は考えたのである。
しかし同じ学校というのは、姉妹を何かと比べさせるものだ。
「あなたも多希さんを少しは見習って大人しくしないと、いいお嫁の口がありませんよ」
すると由希子は笑ってこう言う。
「いいもの、私は私だし。お母様だから、こんな私でいいといういい方を見つけてね」
この調子だから、誰も彼女を憎めないのだ。
だが夫人としては問題である。
そしてこの娘を何とかするには、その前に多希子をどうにかしなくてはならない。
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