夢現

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「うん、だいぶフェロモンの数値も落ち着いているね。さっきエコーで見てもらったけど、子宮も形できてるし、そろそろ生理が来てもおかしくはないよ。次の発情期(ヒート)から妊娠も可能かな」  パソコンに表示されたエコー画像と手元の紙のカルテを交互に見ながら老齢の医師は淡々と言葉を紡ぐ。 「夏樹くんがオメガになったと聞いた時、驚いたけど適正があったんだろうね。長い人なら半年はかかるのに一週間足らずで転移するなんて。文字通り、身体が作り替えられるわけだけど倦怠感や吐き気はある?」 「いいえ。少し熱っぽいですが、それは発情期が終ってすぐだからだと思っています」 「そっか。ほんの少しの違和感でも言ってね」  ちらりと夏樹の顔を伺い、次に悠人が待つ廊下の方向を見つめる。 「……本当にいいのかい?」  そっと声をひそめて呟かれた言葉に夏樹は拳に力を込める。 「ええ、両親には内緒にしてください」 「彼らは君がオメガになっても責めないと思うよ」  ——それは違う。縁を切るに決まってる。  否定の言葉を喉奥に押込み、夏樹は「そうですね」と笑う。医師であり、アルファである父とアルファを産むために番ったオメガの母は夏樹に「優秀なアルファ」でいることを望んでいる。二番手なんてもってのほか、両親は常に一番でいるように要求し、それが達成しなければ冷笑を浴びせるような人間だ。  学生時代、負け続けた相手に更にビッチングによってオメガに堕されたなんて両親に知られたら最悪殺されるかもしれない。 「でも、余計な心配かけたくないので。タイミングみて、僕から話します」 「そうか。なにかあったら頼りなさい」 「いえ、道音(どうおん)先生には色々頼りっぱなしなのでこれ以上は申し訳ないです」  道音は父の師であり、夏樹が今勤務している病院の医院長と旧知の仲だ。直接聞いてはいないが夏樹が疑似発情を終えるまで、裏で色々調整してくれたのは知っている。 「……アルファをオメガにする行為は強姦と同じ、いやそれ以上に重い行為だ。疑似発情も終えた今、今後の発情は薬で抑える事もできる」 「そう、ですね」 「いくら幼馴染とはいえ、私は看過(かんか)できない。……だが、夏樹くんが望むなら私は力になるつもりだよ」 「ゆっくり考えてみます。まだ、頭が整理できないので……」  道音の言う通り、悠人を訴えれば夏樹が勝つだろう。悠人の家は世間的にも有名だからすぐに評論の的になるに違いない。家族構成、学歴、趣味——全てを洗いざらい調べられ、ネットで面白おかしく書き立てられる。 (それならスカッとするけど)  交友関係から夏樹の存在を知られれば、世間の目は悠人よりもオメガに堕とされたアルファに集まるのは明らかだ。名前も顔も晒されて、この先、死ぬまで平穏に生きていくなんて不可能に近い。 (悠人を許す、これが一番平和な道だ)  道音の言う通り、身体が作り替えられる疑似発情は終わった。これから来る三ヶ月一度の発情期は薬で乗り切ることができる。悠人がいなくても問題はない。  例え、前と同じ人生が歩めなくても世界中の人間から嘲笑されるより、だいぶマシだ。  感情を抑えるように夏樹は拳を硬く握る。  その姿を道音は複雑な表情で見つめたが、(かぶり)を振ると手元のカルテに視線を落とした。 「とりあえず、予定なら三ヶ月後に発情期がくるんだけど、君はオメガになりたてだから早まる可能性もある。抑制剤を二種類、即効性のと遅効性のを出そうか。即効性は外に出ていた時とか早急に発情期を抑えたい場合に服用するといいよ」 「はい。重ね重ね、本当にお世話になります」  夏樹は感謝の意を込めて、深く頭を下げた。
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