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悠人の様子がおかしい。そう気付いたのは朝、目覚めると横にいるようになってから。今までは、すぐ朝食の準備や仕事なのか、どこかに電話をかけに行っていた。温もりがなくなったシーツは冷たく、孤独を感じる日々が夏樹の日常になっていたのに。
(今日も、側にいてくれる)
全身を包む温もりに、夏樹は頬を綻ばせながら瞼を持ち上げた。色素の薄い瞳は瞼によって閉ざされ、長いまつ毛が目尻に陰を落としている。すっと通った鼻筋に薄く開いた唇、シミひとつない肌は本人がインドアなのも相まって、驚くほど白い。夏樹の腹部に回された腕を撫でれば、自分よりも低い体温が伝わってくる。発情期はとっくに終わったのに、寝起きのせいか思考はまだぼんやりとしていて、夏樹は本能の導かれるままに厚い胸板に額を擦り付けた。悠人の腕を持ち上げ、足の間に自らの足を潜り込ませる。
そうすることで一段と悠人に密着できて、温もりも、匂いも強くなる。
(……落ち着く)
これがオメガの本能なのは分かっている。悠人に同居を解消しようと何度も話し合おうとしたが、番と離れたくないと叫ぶのだ。本当は嫌なはずなのに同じ寝室で、ベッドを共にして、食事をするのが幸せだと。
それでも、
(……あの子は、何をしているんだろう)
時折、あの少女が脳裏を横切る。忘れようと思っていても、もう二度と出会わなくても、あの時、すれ違った際に見えた泣きそうな顔とフェロモンを思い出してしまう。
ぎゅっと硬く目を閉じて、思考から追い出そうと躍起になっていると今まで額を押し付けていた胸板が震えているのに気が付いた。耳を澄ませば、頭上からは笑いを堪えたようなおかしな呼吸音も聞こえる。
——そこで、夏樹は自分の今の体勢を思い出した。
「違う。これは、無意識で。寒かったんだ。クーラー効きすぎてて」
早口で思いつく限りの言い訳を並べながら離れるために体を捻ると悠人はくすくすと笑いながら腕に力を込めて、夏樹の体を閉じ込める。
夏樹が抗議のために顔を上げると端正な顔が迫り、唇が重なった。
「んぅ?!」
最初は夏樹の唇を堪能するように何度も角度を変えて、啄むようにキスをする。お互いの体温が馴染む頃になるとぬるりと舌が入り込んできた。
「ぅ、んっ……」
口内の隅々まで丹念に舌で愛撫され、舌を吸われ、唇を食まれ、呼吸も満足にできなくなる。胸板を押して、どうにか呼吸をしようとするがいつのまにか後頭部に手が添えられていて、それも敵わない。
生理的な涙で視界がぼやける。どちらとも分からない唾液が唇から垂れる。
それでも悠人はキスをやめないどころか空いた手で夏樹の脇腹を撫でてきた。
(なんで、嫌じゃないんだろう)
嫌だったはずの悠人との触れ合いも今は嬉しい自分がいる。夏樹は悠人から与えられるであろう快楽を思い出し、たくましい背中に腕を回した。
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