偽りの番

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 朝が来るたびに西宮(にしみや)夏樹(なつき)は不安に襲われる。薄氷(うすらい)の橋を渡るような、ひやりとした感覚が身体の奥底から全身へと広がるのを感じながら、熱っぽいまぶたを無理にこじ開けた。  寝返りをうち、目に入った光景に飛び起きた。クイーンサイズの広々としたベッドの上、昨夜、共に就寝したはずの男の姿がどこにもない。急いで手を伸ばし、シーツに触れる。人の体温など微塵も感じない。  その冷たさに夏樹は息を飲み込んだ。  ——直後、 「……最悪だ」  自分の今の行動に絶望感を覚えた。夏樹は現実から目をそらすために布団の中にもぐり込み、ぎゅっと目を閉ざす。  目覚めてすぐ番がいないことに不安を覚えるなんて、まるでオメガのような行動をとってしまった。番った直後のオメガはフェロモンが安定せず、アルファが近くにいないと過度なストレスに(さいな)まれるという。一昔前ならともかく、今はオメガ用の精神安定剤があるので問題視している人間はいないが夏樹は例外だった。  夏樹のようなアルファからオメガに転換した人間に、そういう類いの薬は存在しない。番の存在だけが精神を安定させた。  そう、夏樹はアルファ。  容姿も家柄も学力も「アルファの中でも飛び抜けている」と称された夏樹は、一瞬の油断の末、幼馴染である男によってオメガへと堕とされた。  夏樹は布団の中で体を丸め込んだまま、そっとうなじに触れる。なめらかな肌で唯一その箇所だけがざらりとしていた。指先で凹凸(おうとつ)を辿れば、円を描くように一周する。 「……やっぱ、現実だよな」  夏樹のうなじにあるのは噛み跡だ。噛んだ主がそうとう強く噛みついたせいで、傷を負って一週間が経つのにかさぶたは剥がれ落ちる気配はない。  剥がれ落ちても、元通りの肌にはならないだろう。  まるでタトゥーのようにいつまでも存在し、夏樹に現実を突きつけてくるに違いない。
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