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「ユキ君? 入るよ?」
ドアをノックして、スイが遠慮がちに声をかけてくる。
朝一番に聞くスイの声は、その日がいい一日になるのだと思わせてくれた。
「おはよう。朝飯できたよ」
きし。と、ベッドの軋む音が聞こえる。スイがベッドの淵に座ったのだろうと想像する。けれど、ユキはシーツに顔を埋めたままだ。
ふ。と、僅かに吐息を吐く音。きっと、仕方ないな。と、笑っている。優しく。優しく。
分かっているけれど、顔を上げはしない。そうしている間は、スイを釘付けにできるからだ。スイはユキ一人のものではない。確実にユキより寝起きの悪いアキを起こしに行ったときの方が、スイは時間をかける。だから、少しくらいは自分のためにスイを足止めしたっていいんじゃないかと、ユキは思うのだ。
「ユキ君」
けれど、それもスイにはお見通しだと思う。そんな子供のお遊戯みたいな我儘に気付いていながら、付き合ってくれている。これを愛と呼ばずに何というのだろう。それを確認するこの瞬間が、ユキは好きだった。
「おはよ。スイさん」
ぐい。と、頭を撫でてくれる手を引っ張って、ユキはスイの頬にキスをした。
「わ。ユキ君」
そのままスイの細い身体を腕の中に収める。わずかに身じろぎしても、スイはされるがままだった。
「……あー。めっちゃ。幸せ」
ぎゅっ。と、スイを抱きしめて、首筋に顔を埋めると、シャンプーと、柔軟剤と、煙草と、それから、スイ自身の甘い香り。好きだと気づいてからの日々。触れたくても触れられなかった日々。ユキを悩ませ続けた香りだ。
「スイさん。すごくいい匂い」
でも、今は腕の中にある。自分はその人を抱きしめて、キスをして、好きだと言ってもらえる権利を得たのだ。そして、権利は行使するためにある。
「ユキ……くん……ちょ。恥ずかしいから……匂いとか……いわないでよ」
すんすんと鼻を鳴らすユキに、スイの顔がほんのりと上気した。それでも、抵抗することなく腕の中に納まってくれている可愛い恋人に嬉しくなって、ユキは上気した頬にキスをする。
「顔赤いよ? すげーかわいい。ね? キスしていい?」
照れて背けようとした顔を優しく両手で包んで、正面から見据える。翡翠の色の綺麗な瞳にはユキの顔が映っていた。さっきより顔を赤くして小さく頷く唇に、そっと重ねるだけのキスをする。
もう、それだけで、信じられないくらいに幸せだった。
「な。スイさん。わかる? 多分、俺、今、世界一幸せな顔してる」
呟いて、ユキはもう一度その唇にキスをした。
「……そんなこと……ないよ。……たぶん……一番幸せなのは……俺だし」
頬を真っ赤に染めて、その細い指がそっとユキの頬に触れる。それから、スイのほうからも優しいキスをくれた。唇が離れると、スイが微笑む。大輪の花が開くような綺麗で、可愛くて、幸せそうな笑顔だった。その笑顔が今、自分だけに向けられているのが堪らなく嬉しい。
「大好きだよ。ユキ君」
こんな幸せな日々が来るなんて、本当に思っていなかった。
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