訪問者

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「なぁ、大丈夫なのか?」  リダファに向かってこんな口を利く人物は一人しかいない。イスタである。  あの事故からもうすぐひと月。リダファの記憶は、徐々に戻りつつある。  あのあと、医師と共に確認したところによると、失くした記憶は直近数年分だった。ちょうどララナとの結婚のあたりから、すっぽり抜け落ちているようなのだ。 「もう大丈夫だって何度も言っただろう?」  うんざり、と言った顔でリダファが答える。 「……まぁ、体は元気なのかもしれないけどさぁ」  イスタが心配しているのは心の方である。  ララナと知り合う前のリダファは、人生に何の楽しみも見出せず、ひたすらいじけて暮らしていたただの陰湿皇子だ。ハッキリ言って面倒なだけの男だ。その頃に戻っているのだから、心配にもなるだろう。これはリダファに対しての心配であると同時に、国の行く末に対しての心配でもある。  そんなこと、本人には言えないが。 「マチと同じようなこと言うのやめてくれよな、ほんと」  リダファが項垂れる。  目覚めた時からずっと、頭がぼんやりしている。散々皆に心配をかけたのは悪かったと思うが、記憶が戻らないのは自分ではどうしようもないし、それに関しては半ば諦めてもいた。ひと月も経つのに、失くした数年分の記憶を何も思い出せないのだから、この先いつになったら思い出すかなどわからない。 ──目覚めたら嫁がいた。  それはまさに寝耳に水だったし、自分がよくそれを受け入れたものだと不思議にすら思う。誰の口からも『二人は相思相愛で』と言った話を聞かされ、しかし記憶のない今、それはまるで他人事にしか聞こえてこないのだ。  確かにララナは可愛いかもしれない。だが、聞けばニース国王の側室の子だという話。なぜニースより大きな我がアトリス国の皇子である自分が側室の子と? それを望んだのが自分自身だったと言われた時は、そのことにも驚いた。 「ララナ様は坊ちゃんの命の恩人なのですよっ?」  マチもそう声を荒げ、ララナのことを思い出さないリダファを責めるような口ぶりだ。  そしてイスタも、同じ。  皆、自分を気遣うふりをして、ララナの心配をしているのだ。なぜそこまで彼女がアトリスに溶け込んでいるのか、よくわからなかった。 「ララナ様とはうまくいってるのか?」  イスタの質問に、どう答えていいかわからない。  あの日からずっと、ララナはつきっきりで看病をしてくれていた。体が元通りになるのにさほど時間は要らなかったが、記憶だけはどうにもならず。それでもララナは、二人の間で交わされた会話や、今までの思い出などを細かく話して聞かせてくれたのだ。彼女の話は面白おかしく、リダファはララナの話をいつも楽しく聞いていた。だが、それと同時に違和感というかなんというか……何かしっくりこないのだ。 「うまくもなにも……普通だよ」  その違和感に耐えかね、寝室も別。食事だけは一緒に摂るようにしているが、一方的にララナの話を聞くだけで、リダファは何を話せばいいのかもわからなくなっていた。いつしか話題も尽き始めていたところだ。 「公務は、まだ?」  イスタとしては、そんな二人を何とかしたい気持ちはある。だが方法がよくわからないのだ。それに最近、リダファは疲れている。それも気掛かりだった。 「ララナと二人で他国へ行けって話か? ウィルからはそんな話もされたけどな。断ってるよ」 「……そうか」  王宮で同じ景色ばかり見ず、少しゆっくりと外を巡ったらいいのではないかと思っていたイスタだが、リダファにその気がないのではどうにもならない。  なんとなく会話が途切れたその時、バン、と執務室の扉が乱暴に開かれる。リダファとイスタが驚いて振り向くと、マチが血相を変えて飛び込んできた。 「坊ちゃん! どういうことですっ?」  怒っているような、驚いているような、とにかくすごい剣幕のマチを前に、リダファは一瞬たじろいだ。幼い頃、悪戯をして叱られた記憶が蘇ったのだ。 「な、なな、なにっ?」 「がっ」 「はっ?」  思わずズボンに目を遣ってしまうリダファ。 「いつの間に坊ちゃんに息子がっ?」  どうやらマチが言っているのは『子供』という意味のようだと気付き、恥ずかしくなる。いや、恥ずかしくなっている場合ではない。 「なんだよ、俺の息子って?」 「だからっ、今、坊ちゃんの息子を連れた女性が来ておりますっ!」  マチの説明がよくわからないが、廊下のざわつきを聞くに、どうやら何かが起きたらしいと判断。リダファはイスタと共に部屋の外へと駆け出した。 *****  応接間の周りに人だかりができていた。元凶はあそこにいるようだ。  リダファが近付くと、波が引くかのように人が散る。そのまま応接間のドアを開けると、そこにいたのは大宰相のエイシル、副宰相キンダ、外交官ウィル、そして、小さな子を抱いた女性。 「リダファ様!」  子を抱いたまま、女性が椅子から立ち上がり満面の笑みで走り寄る。リダファは一歩、後ずさった。 「待ちなさい!」  声を上げたのは大宰相エイシルだ。 「……一体何の騒ぎだ?」  リダファが訊ねると、エイシルが眉間に皺を寄せ、リダファに訊ねる。 「リダファ様、彼女に見覚えはありますか?」  そう言われ、リダファは改めてその女性を見る。が、知らない。 「いや、」 「リダファ様は記憶を無くされているのですもの、覚えていなくても仕方ありませんわ」  悲しそうな顔でリダファを見つめる女性。 「……なんなんだ?」  彼女が抱いている子が降りたいのか、彼女の腕の中で愚図る。 「リダファ様、彼女の名はモルグ・ダン。抱いているのは息子のフィリス……だそうです」  なんとも歯切れの悪い物言いである。 「それで?」 「大変申し上げにくいのですが……、」 「あら、どうしてです? はっきり仰ってください。この子は私とリダファ様の、愛の結晶なのですから!」  キラキラの瞳でそう言われ、先に声を上げたのはリダファの後ろにいたイスタだった。 「はぁぁぁぁぁ?」  その声に驚いたのか、フィリスがビクッと体を震わせた。 「……なにを、言ってるんだ?」  驚くリダファに向け、モルグはそんなこと一切お構いなしに言い切った。 「フィリスは、リダファ様と私の子です」  キョトン、とした顔でリダファを見つめるフィリスは、リダファに瓜二つの容姿をしているのだった。
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