31人が本棚に入れています
本棚に追加
異国ですもの
大宴会は続いていたが、何故か主役の二人は宴会場から追い出される。
そのまま別々にされ、リダファは風呂に通された。早々に着替えを済ませ、寝室に追いやられる。
「あ、そういうこと?」
従者にそれとなく訊ねると、
「それはまぁ、そういうことではありませんか? お二人にとっては今日が初めての夜ですものねぇ」
と、いう答えが返される。
ちなみにニヤニヤしながらこの返答をしているのはリダファの乳母も務めた女中長、マチである。今回の結婚も、誰よりも喜んだのが彼女だった。何がそんなにめでたいのかと訊ねるリダファに、
『これで坊ちゃまも、独りではなくなりますから』
と、意味深なことを言っていたのだ。
彼女はリダファの面倒をずっと見てきた。幼い頃の自由だった彼も、兄が亡くなってからの、がらりと性格を変えざるを得なかった彼も知っている。本来の、明るくて奔放だった頃を知る彼女は、孤独に苛まれて生きてきたここ数年の彼を見ているのがつらかった。本来のリダファに戻ることが出来なくとも、せめて閉ざしてしまったその心を、いつか開け放ってくれる誰かがいたらいいのに、と願っていたのだ。
「さ、花嫁がそろそろご準備できたようです。頑張ってくださいね、坊ちゃん」
「頑張って、って……なにをだよっ」
「さぁ、なんでしょ。おほほほ」
からかうように笑い、部屋を出てゆく。そんな彼女と入れ違いで、部屋に入ってきたのはララナである。夜着……というのだろうか、薄手のドレスのようなものに身を包み、緩くウエーブの掛かった長い髪を揺らし、不安そうな顔でこちらを見ている。
「不安か?」
リダファが声を掛ける。ララナはもじもじしたままドアの前で立っていた。
こんな時、どうすればいいのかリダファは知らない。十六の年に女性との付き合いはあったが、キスくらいはしたものの、体の付き合いまでには至らなかった。兄が亡くなってからは女性との付き合いなどする暇もなかったのだ。もうすぐ十九になるというのに、なんだか情けなくもある。
リダファはララナに歩み寄ると、手を伸ばす。が、ララナはびくっと体を震わせ、後ずさった。そして慌てたようにリダファを見上げる。
「……だよな。今日いきなりここに連れてこられて、はいこいつがあんたの夫ですって言われて、夫婦になったんだからやっちゃってください、なんて、そんな簡単じゃないよなぁ。ララナ、年いくつだっけ? 十六とかだっけ? まだ子供だよなぁ。ま、俺も十八だから、大して変わらないけどさ」
気恥ずかしさもあり、一人でペラペラ喋る。そんなリダファの言葉を、ララナはただじっと聞いていた。
「さっきも思ったけど、ララナは全然話さないな? 話すなって言われてるわけじゃないんだろ? なんか話せよ?」
リダファに促されると、
「あ~、」
と、明後日の方向を見て、考える。が、結局何も話そうとしない。
「無口なの? それとも俺と話したくないってことなの?」
少しムッとしてしまう。こっちがこんなに歩み寄ってるっていうのに、無視するってどういう了見だよ?
「なぁっ」
少し強引に腕を引く。と、
「ハナラマタ、キヨルテマゴウニ、サダキッテアリナヤ!」
ララナが喋った。しかし、
「……は?」
驚くリダファに、しまった、とばかりララナが口を押える。
「あ~、なるほど~、そ~いうことかぁぁ~」
納得した。
彼女、アトリスの言葉が分からないのだ。
それもそのはず。ニースは島国で、独特の言語を使っている。いわゆる『大陸語』と言われる言葉とは違うのだ。
しかし、まったく言葉が分からない状態で嫁にきたというのか……?
「通訳とか、いないわけ?」
訊ねると、
「シオルムヘダ、マテ、モニンダルス」
ま、なんのこっちゃ、である。
「ああ、これは……。ちょっと俺、聞いてくるわ」
部屋を出ようとすると、後ろからすごい勢いで腕を引かれる。
「うおっ」
振り向くと、ララナが必死な顔で首を振っている。行くな、という事か? 恥ずかしそうな顔で腕を引くララナを見て、理解する。
「……ああ、きちんとお勤めしなさい、とか言われてきたのかなぁ。そうだよなぁ。立場的にはニースの方が弱いんだろうしなぁ」
泣きそうな顔で見上げてくるララナを見ていると、なんだか可哀そうに思えてしまう。
「わかった。じゃ、こうしよう。今日はもう、寝よう、な」
言ったところで通じないのだ。
リダファはベッドに行くと、ララナに向かってジェスチャーを交えながら説明を始める。
「ここら辺からこっちが、俺。そっち側は、ララナね。わかる?」
ベッドの真ん中あたりに指で線を書き、訴えかける。ララナはそんなリダファのジェスチャーを見て、首を傾げた。
「ああんっ、面倒だなぁっ」
リダファがベッドの上に寝そべり、再度同じように説明した。
「だから、ここから、こっちは、俺。そっちは、ララナの場所!」
ポンポン、とベッドの半分を叩き、ララナに見せる。と、立っていたララナがおずおずとベッドに上がり込む。
「そ。もう、今日は寝る。おやすみ!」
サイドについた明かりを消すと、部屋が暗くなる。窓から差し込む月明りが、青白く部屋を照らした。
「ハシ……ハシキナラ、マタン?」
背を向けたリダファに、ララナが何か言った。リダファは溜息をつくと、寝返りを打ってララナの方を向く。緊張に顔をこわばらせたララナがじっとこちらを見つめている。
「心配するな。何もしないから」
微笑みながらそう言うと、ララナは小さく頷いた。多分、通じてはいない。
「ララナ、俺はね、こんな風に決められた相手と結婚して、決められた未来を歩くのなんかまっぴらごめんだと思ってるんだ。確かにそう、思ってるんだ。それでも、その反面、なくなった兄の代わりは俺しかいないってわかってるし、諦めてもいる。結局は宿命ってやつだよな」
はぁ、と大きく息を吐く。
「ララナもさ、政治の道具としてこんなとこに連れてこられて可哀想だよな。好きなやつとか、いなかったの? 俺はさ、ちょっといたんだよなぁ、好きなやつ。まぁ、そいつはもう嫁に行っちまったけど」
ぺらぺらと喋るリダファを、ただじっと見つめるララナ。
「なんなんだろうな、俺。結局は国のためとか大義名分ばっかでさぁ、俺っていう人間は何処にもいないんだよな。お飾りもいいとこ。これから何十年、そんな生活なんだぜ? ほんと、きついって」
言いながら、なんだかつらくなってくる。子供じみた考えなのはわかっている。だが、つい数年前までなかったプレッシャーに、どうしても負けてしまいそうになるのだ。
「イラ、ナリトマ、カム」
ララナがすっと手を伸ばし、リダファの頭を撫でた。
「えっ?」
「ナリトマ、カム」
優しく微笑みながら、ゆっくり、髪を撫でつける。心地よい、声。
「ふふん、ふふ~ふふん」
子守歌のようなものなのだろうか、ララナが口ずさむ。初めて耳にするのに、どこか懐かしいような、不思議なメロディ。
リダファが目を閉じる。
そしてそのまま、深い眠りに誘われていったのである。
最初のコメントを投稿しよう!