第2章 離れ離れ

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第2章 離れ離れ

 ララナは走っていた。  今はなにより、この場を離れるしかないと思ったのだ。 「リダファ様っ、」  後ろ髪を引かれるとはこのことであろう。さっきまで一緒にいたリダファとは、もう一緒にいられないのだから。 「ああ、なんでこんなことにっ」  走りながら、呟く。  追手の気配はすぐ近くまで迫っているような気がした。怖くて振り返ることも出来ない。ララナは身を隠すため、その地へと足を踏み入れる。入ってはならないと言われていた山へ。聖なる地と崇められている、ダルト火山がある方角へ。  森の中を走ると、開けた場所に出る。そこは幼いころによく遊んでいた場所でもあった。  今は亡きララナ・トウエを思う。かつての、自分の主の名を。  愛のない政略結婚に悩んだ末、海に身を投げたララナ。一命は取り留めたものの、結局は目を覚ますことなくこの世を去ってしまったララナ。そんな主の代わりに海を渡り、婚姻を交わしたヒナは、自らをララナと名乗った。  言葉も分からぬまま異国へと渡り、それでも、自分は国と国とを繋ぐ架け橋になるのだと努力をしてきた。結婚相手であるリダファは、初めこそ不愛想であったものの、その後はお互いがなくてはならない存在になっているほどだ。  リダファの元に嫁いだあの日から二年弱。  すべてうまく行っていたはずなのだ。  それなのに……。  立ち止まり、息を整える。やっとの思いで振り返ると、そこには追手どころかなんの気配もしないくらいの静寂があった。  ララナはその場に座り込んだ。  そして、目を閉じる。 ***** 「ニースへの親善外交を中止しろって?」  リダファは自分の右腕でもあり、大宰相の息子でもあり、友人でもあるイスタに向かって不満の声を上げた。 「いや、外交するなって言ってるわけじゃないんだけどさ、今は、訪問はちょっと、」  苦い顔でそう言われ、リダファも苦い顔を返した。 「なんでだ? ララナの故郷だぞ? あれから一年半になるが、彼女は一度も帰ってないだろ? そろそろ顔を見せにっていう俺の案、なんで通らないんだよ?」  リダファとしては、ララナに里帰りの機会を与えたかった。彼女の暮らした島を、見たかったというのもある。それなのに、どうしてもこの宰相補佐がうんと言わないのだ。 「あ~、それはさぁ……」  イスタはイスタで、リダファに言い辛い秘密を抱えているのだ。  ララナはニース国王の側室の子である、ということは今や周知の事実だが、それはニース国王であるガイナと、今は亡き、アトリス国元外交官であり、先の謀反に関係していたであろうハスラオが企んだ嘘だった。  これはララナの過去を調べていたイスタが直接ニースへ出向き、国王自らの口から聞いた事実である。国と国との繋がりのため、ヒナという侍女をララナに仕立て上げアトリスへと送り込んだのだと、彼は白状した。  ハスラオにそそのかされたとはいえ、このことが知れれば大変なことになる。本当は国王の血など引いてもいない、どこのものとも知れぬ、ただのララナ王女付き侍女をアトリス国へと送り付けたのだから。  国王ガイナはこのことを涙ながらに謝罪した。そしてこのことはヒナ……ララナ本人と、イスタ、それにイスタの父であり大宰相でもあるエイシルのみが知る事実だ。 「それは、なんだよ?」  ムッとした顔で凄まれるが、言えるはずもない。彼女がララナ本人ではないというだけでも大問題だったのだ。それを何とか丸め込んでヨシとするだけでも大変だったのに、ただの侍女だったと知れたら一体どうなってしまうのか。考えただけでも頭が痛い。  それに、だ。  ニースの国王ガイナは、このままララナにはアトリスに留まり、ニースには戻らないでほしいとすら話していたのだ。彼女を見ると、亡くなった娘……本当のララナを思い出すし、なにより彼女が側室の子であるという芝居を国ぐるみで出来るとは思えない、ということだ。嘘をつき通すだけでも日に日に不安が募り、もう我慢ならない、と。 「大人の事情がな、あるんだ」  イスタは至極真面目な顔でそう口にした。しかしリダファには納得できるようなものではない。 「はぁ? 事情ってなんだよ。俺が納得できるような話じゃないならニースに行くぞっ」 「いや、それはっ」 「これは決定事項だ。いいなっ?」  言い出したら聞かないのは昔からだ。イスタは大きく息を吐き、どんな理由なら二人をニースに行かせなくても済むかを考え始めていた。 「……わかりました。少し考えます」 「なんでそんなに頑ななのかさっぱりわからないな。今やララナは民にも人気のちゃんとしたこの国の皇女だぞ? ニースの国王だって誇りだろうに」  首を捻る。  そうだ。本当なら誇らしいことなのだ。 「ララナも、もっと欲を口にすればいいんだ。自分の国に帰りたいとは思わないのか? 向こうに会いたい人だっているだろうに。まだ俺に遠慮があるのかな? もっと甘えてくれて構わないんだけどな」  真面目な顔で、惚気やがる。  イスタは、さっきとは違う感情で眉を顰めた。 「自分の国とはいえ、彼女はご側室の娘。国王はまだしも、王子たちや側近からはあまりよく思われていない可能性もありますよ? 帰りたいと思っていればリダファ様にそう言うのでは? 言わないということは、今の生活に満足している……アトリスに馴染んでいるということでしょう」 「……なるほど。そうか、もはや彼女の居場所はアトリスにあり、ってことかぁ」  わかりやすくにやけた顔で、リダファ。単純を絵にかいたような男である。 「そろそろ子どもを作ることも考えていただきたいですしね」  ララナがアトリスに来て一年半。リダファはもう少し二人の時間を楽しみたい、と子供を作らずにいた。二人ともまだ若かったので、そういう時間もあった方がいいだろうと周りも認めていた。しかし、仲睦まじい二人の姿を見ていると、どうしてもその先の光景というものを望んでしまう。家臣たちの中からも、そろそろ二世を、という声が上がり始めているのだ。 「子供かぁ。確かに、ララナと俺の子なら絶対可愛いだろうしな」  いい加減、にやけ顔が鼻につく。  イスタは小さく溜息をつくと、手にした書類をこれ見よがしにリダファの前にバン、と置いた。 「仕事に戻りましょう。ここ最近起きた自然災害による作物への被害状況をまとめた資料です。目を通してください」  仕事となれば、イスタの方が断然やり手なのである。
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