白紙の時間

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白紙の時間

「……君は、誰?」  それが、リダファの口から出た言葉とは思えず、ララナは首を傾げてしまう。 「あの、リダファ……様?」  屋敷に運ばれてきたリダファが目を覚ましたのは、あれから三日が過ぎた昼過ぎのことだった。たまたま席を外していたララナは大急ぎでリダファの元を訪れた。そして言われた言葉が、それである。 「あの……ララナ、です」  半分呆けた頭で返事をする。 「ララナ?」  ふざけているのではないということがわかる。本当に、わかっていないようなのだ。  ララナはパッと医師の方を向くと、 「一時的な記憶障害だと思われます」  と言われる。 「記憶……障害?」  マチが心配そうにララナを見た。 「しかし、意識を取り戻しましたので、これで一安心ですぞ、ララナ様」  そう言われたことがせめてもの救いだった。 「目を覚ましたか!」  バン、と扉を開け入ってきたのはアトリス国王、ムスファ。ララナはお辞儀をし、場所を空けた。 「大事ないか、リダファ」  そう、訊ねられ、リダファが小さく首を傾げる。しかし、次の瞬間、 「随分大袈裟ですね、父上」  と言ったのである。 「え?」  ララナが口元を押さえる。ムスファのことは、覚えている……? 「頭を打って三日も意識がなかったんだぞ? 大袈裟でもなんでもないわ。ララナがどれだけ心配していたか」  チラ、とララナを見てムスファが言った。釣られるようにララナに視線を移すリダファだったが、 「……ララナ?」  やはり、わからないのだ。  ムスファもその反応に違和感を覚えたのか、 「どうした? ララナだぞ?」  と繰り返す。 「父上、この者は一体誰なのです?」 「っ!」  慌てて医師を見る。さっきと同じ説明をされ、大きく息を吐き出した。 「一時的なものだというのなら、直に思い出すであろう。今は安静に過ごすことだ」  そう言って部屋を出た。  残されたララナは、なんだか居心地が悪くもじもじしてしまう。赤の他人を見る目でこちらを見るリダファに、どう接していいのかわからない。 「ララナ……は、」 「はいっ」  思わず元気よく返事をしてしまう。 「ララナは俺の……妹?」 「ちっ、違いますっ」 「違うのか。……そうだよな、肌の色も目の色も違うもんな」  半分呆けたようなリダファは、動揺しているララナを気遣っているのかもしれない。けれど、ララナにとっては……、 「わ、私っ、一度戻りますねっ。リダファ様もお疲れでしょうしっ」  声を震わせそれだけ言うと、部屋を飛び出した。 *****  早鐘を打つ心臓を押さえながら、速足で歩く。すれ違う女中たちが、ララナに向かって『リダファ様が目を覚ましてよかったですね』といった言葉を掛けてくるのだが、素直に頷けなかった。  俯いたままで歩いていたせいで、回廊の角で人とぶつかりそうになる。 「ごめんなさいっ」  顔を上げると、外交官のウィルだった。 「こちらこそすみません。……ララナ様、大丈夫ですか?」  ララナの顔色が悪いことに気付き、ウィルがララナの肩に手を置き、顔を覗き込む。 「なにか、あったのですか?」  ウィルはいつもの穏やかな顔をこわばらせ、ララナを見た。いつもにこやかで優しいウィルの心配そうな顔を見て、ララナはハッとする。落ち込んでいるだけの自分に、喝を入れなければ! 「ごめんなさい、私、少し動揺しちゃって」  作り笑顔でそう口にするも、ウィルはララナを離してくれなかった。 「そのような状態のララナ様を放ってはおけません。少し中庭で休みましょう!」  ズイ、とララナを押し出すように、外へと連れ出すウィル。  続いていた雨は上がり、今日は穏やかな晴れだった。中庭の長椅子に腰掛けると、ウィルはララナの足元に身をかがめ視線を合わせてきた。 「私でよければお話を聞きますよ?」  柔らかい笑みを浮かべそう言われ、ララナはつい、弱音を吐いてしまう。 「……リダファ様が、目を覚ましたのです」 「リダファ様が!」 「ええ。でも……私を覚えていません」  ララナの言葉を聞き、ウィルがパチパチと瞬きをする。 「覚えていない……とは?」 「一時的な記憶障害だと、お医者様は言ってました」 「ああ、一時的なものなのですね」 「でも、国王のことはちゃんとわかっているのですよっ?」  ララナが声を荒げる。  誰よりも自分が一番近くにいると思っていたのだ。それなのに記憶がないと言われ、ショックだった。 「……ああ、ララナ様は陛下に焼きもちを焼いたのですね」  クスクス笑いながら、ウィル。 「やっ、やきもちっ?」  思わず抗議の声を上げる。 「国王のことは覚えている。ララナ様のことは覚えていない。では、あとの者はどうでしたか? 私のことは? イスタ様のことは? マチのことはどうでした?」 「それはっ……わかりません」  確かめもしなかったことを、今初めて思い出す。まるで自分だけが忘れられたように思っていたが、そうではないかもしれないのだ。 「ララナ様は慌てん坊ですね。それに、医師が一時的だと言っているのなら、すぐに思い出すやもしれませんよ? なるべくお傍にいた方がいいのでは?」  ウィルの優しい声に、ララナがバッと顔を上げた。 「ウィル……ありがとう! 私、行く!」  興奮すると、今でも時々片言になる。ララナは立ち上がるとくるりと振り返り、元来た道を走っていった。  そんな後姿を見つめながら、ウィルが唇の端を上げる。 「記憶喪失……ですか。ん~、いいですねぇ。いっそそのままララナ様を思い出さずにいてくれたらいいのですがね。……さて、どう動きましょうか? 数日は様子を見た方がいいのか……それとも?」  クスクス、  喉の奥の方で笑う。  間抜けなポンコツ皇子を陥れる次の一手に思いを馳せる――。
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