第1章 政略結婚

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第1章 政略結婚

 空が曇り始めた。  まるで今の気分をそのまま表わしているかのような濁った空。  こんな気持ちのまま、これから始まるすべてを飲み込まなければいけないのかと思うと先が思いやられる、とリダファは大きく息を吐き出した。 「なんだ、溜息など。今日が何の日か、わかっているのか?」  眉間に皺を寄せ小言を言ってくるのは、父であり、ここアトリス国の六代目国王、ムスファ・アムー・アトリスである。 「今日が何の日か? ええ、存じておりますよ。私の結婚式です。どこの誰とも知らない相手との、愛のない政略結婚の良き日です」  嫌味たっぷりに言い放つ。 「ふん、いい年をしてまだそんなことを言っているのかお前は。我がアトリス国の世継ぎであるお前が、国の繁栄のために隣国から嫁を取ることに何の不思議がある?」 「世継ぎ……ねぇ」  つい数年前まで、リダファは世継ぎではなかった。世継ぎになったのは最近なのだ。それまでの自分はどちらかというと父からも母からも、煙たがられる存在であった。  リダファには兄がいた。名実ともに、れっきとした、きちんとした世継ぎである。その兄が流行り病であっけなくこの世を去ってしまった。更には後を追うように、母も亡くなってしまう。  兄を亡くしたことで、今まで邪魔者扱いだった自分が、急に世継ぎへと格上げされることになるわけだが、リダファはそのような教育は受けていない。次男というのは気楽なもので、兄の邪魔さえしなければ何をしても文句を言われることはない。必要最低限、知識の詰め込みや王族としてのマナーなどは学んだものの、あとは自由だったのだ。  それがどうだ。  兄が死んだ途端、周りの見る目は大きく変わった。  急に専門の講師を付けられ、この二年間で帝王学を叩きこまれ、自由を剝奪され、そして結婚相手をあてがわれる。決められたレールの上を、一歩たりとも踏み外さないように見張られながら生きていくことになるのだ。 「そろそろ来る頃だ」  ムスファが言うと、扉が放たれる。 「国王陛下、ララナ・トウエ嬢が到着いたしました」  近衛からの報告を受け、ムスファが立ち上がる。 「通せ」  王宮殿、大広間には家臣たちが一堂に会し、次期女王となるリダファのお相手を待ちわびていた。天候の悪化で船が遅れていたのだ。  そう。花嫁は海を越えてやってくる。貿易上の付き合いが深い隣国、ニースから。  ザワ、と空気が揺れる。  開け放たれた扉のむこうから、異国の服を纏った一行がしゃなりしゃなりと進んでくる。色とりどりの傘には装飾品があしらわれ、献上物らしき品々を運ぶ男たちは皆、剥き出しの焼けた腕に幾本もの筋を立てる。がっしりとした体躯。これも南国ニースの特徴である。  次々に献上される珍しい品々。  チラ、と横を見ると、満足そうなムスファの顔が見える。  うんざりしながら向き直ると、最後に登場したのは人ひとりがやっと入れるくらいの駕籠(かご)である。四方を男たちが担ぎ、ゆっくりと王座の前まで運ぶ。 「ララナ・トウエ様をお連れしました」  迎えに出向いた王宮外務官がズイ、と歩み出てこちらに一礼する。 「ここへ」  ムスファの命を受け、駕籠の戸を開いた。 「ほぅ、」  駕籠の中の鎮座しているのは、黒髪を頭の上に結い上げた、小麦色の肌の少女である。外交官に手を引かれ、ゆっくりと駕籠から出る。ニースの民族衣装に身を包み、歩くたびにシャラン、という不思議な音を立てる。 「こちら、ララナ・トウエ様でございます」  紹介され、少女がぺこりと頭を下げた。 「うむ、苦しゅうない。ほれ、リダファ、迎えに行かんか!」  椅子に座ったまま動かないリダファを急かす。仕方なく立ち上がると、玉座を降りララナの前に立つ。大きな瞳は深いブラウン。わかってはいたが、ニースの人間は皆、健康的な肌艶だ。それに比べアトリスは、白い肌に色彩が薄い髪と目の色である。リダファも、金髪碧眼だった。 「リダファだ」  ぶっきらぼうにそう言って手を差し伸べると、ララナはにっこり笑って、その手を取った。屈託のない笑顔である。 「お前は嫌じゃないのか?」  つい、そんなことを口走ってしまう。が、ララナは何も言わず少し首を傾げただけだ。 「さぁ、それでは宴を!」  リダファの気持ちなどお構いなしに、王宮内はお祝いムード一色となる。これで国は安泰だと、誰もが信じて疑わないのだ。 「くだらない」  そんな家臣たちを見て、毒づく。 「ん?」  隣でララナが首を傾げた。 「くだらない、と言ったんだ。こんな風に隣国同士で政略結婚を繰り返し、国のためだと大義名分掲げて愛のない結婚をして、国を治めるのなど王の役目というより役人たちの仕事だろう? 俺たちはただのお飾りに過ぎないってのに、何一つ自由がない。違うか?」  一気に捲し立て、ララナを見る。結婚当日にこんなことを言われたらつらいだろう。しかしこれが現実だ、とリダファは思っているのだ。が、 「ん」  ニコニコしながら相槌を打つララナに、肩透かしを食らう。 「なんで笑って……、もしかして俺と同じ意見だったりするのかっ?」 「ん」 「いや、相槌じゃなくてさ、どう思うのか、って話をだな」 「ん!」  急にララナが立ち上がる。リダファの腕を引っ張り、同じように立たせる。 「ちょ、なんだ?」  そのまま無理矢理大広間の中央まで引っ張られると、向かい合わせに立つララナ。 「なんなんだっ?」  わけがわからないリダファを前に、ララナが姿勢を正し、一礼した。そして、シャラン、と鈴の音を鳴らし、舞を始めた。 「へ?」  初めて目にする、異国の舞。リダファを囲むように、そう、まるでリダファを祭るかのように、ひらひらとその周りを舞っている。緩やかで美しく、情熱的で優しい、舞。衣装が揺れ、鈴が鳴き、神秘的で見るものすべての視線を奪う舞。それまでがやついていた広間の喧騒が、どんどん静まり返っていく。  タンッ  ララナがステップを踏む。明らかにさっきまでとは違う軽快でリズミカルなステップ。するとどこから出したのか、ニースから来た従者たちが太鼓や弦を用い、派手な音楽を奏で始める。 「おお、これは楽しい!」  軽快な音楽、楽しい踊り。ララナが広間の皆を、踊りながら煽る。知らぬ間に、体が動き出す者たち。一人、また一人と広間の中央に集まり出し、やがては大きな輪となった。  皆、踊っている。  笑いながら、踊っていた。  輪の中心にはララナ。 「どうなってんだ?」  目の前で踊っている国王と宰相の姿を見、思わず目をこすってしまうリダファなのであった。
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