面白いとされるものが変わっていく話

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面白いとされるものが変わっていく話

 みなさんこんにちは、梅川です。  今日は広島の平和式典の日でしたね。    はじめて「はだしのゲン」を読んだのはたしか中学生のころだったと思うのですが  ああいう「本物のリアルの現実はこれだよ」(言葉が変ですけど)というのを漫画として残そう、残さなければと思い立った中沢啓治先生と、編集者の方には、畏敬の念を抱かずにはいられないですね……執念。まさにこの言葉だと思います。  朝ドラ「虎に翼」で、「戦災孤児がまるで迷惑で厄介な存在のように扱われていた」と言及されていましたが、怒りを通り越してやるせなさすら感じてしまいますね。  さて。今日は「面白いとされるものが変わっていく話」です。  私が創作を始めたのは今から四年前なんですが、当時「物語のつくり方」がわからなくて(知らずとも出来ている作家さんも多いので尊敬してます)、いろいろと模索しているうちに、漫画家のマキヒロチ先生のツイートに行き当たりました。  マキヒロチ先生といえば「いつかティファニーで朝食を」「吉祥寺だけが住みたい街ですか」「スケッチー」などの作品を生み出した言わずもがなのヒットメーカーでいらっしゃいます。  そんなマキヒロチ先生ですが、出版社の担当がついてから最初の単行本が世に出るまでの十年間、「商品として認められるような作品」が描けずに思い悩む日々を送っていらしたそうで。  当時のことを漫画にしたものをツイートで公開されていまして、これが「誰かに読んでもらえるようなお話を、どうやって作ったらいいのかわからない」と悶々としていた私の心に、ぐっさりと深く刺さりました。(とても面白いのでよかったら検索してみてください)  ある先生のところにアシスタントとして行くようになり、楽しい毎日を過ごしていたマキヒロチ先生は、ある日、「スピリッツ」の編集者(浦澤直樹先生の元担当者)の人に言われてしまいます。 「ヒロチはね もっと自覚しなきゃダメなんだよ ヒロチの漫画なんて見たい人はこの世に一人もいないってことを!!」  これを漫画で読んだ時、ホゲェーーーーーー となって(語彙力消失)、ちょっと落ち込みましたね。  でも本当にそうだよなぁって思います。  自分の好きなものを詰めただけの作品ではなくて、読者さんが振り向いてくれるような工夫をこらした作品じゃなきゃダメなんですよね。(ここをどうしていくのがが本当に難しいわけなんですけど。。)  読者さんだって毎日忙しいですし、わざわざ知らない人の作品を読みに行く義理なんてひとつもないわけで。  ましてや投稿小説って読むのにそれなりのコストがかかりますし……    なので読みに来てくださる読者さんというのは本当に「宝」という表現で足りないくらいの存在なわけですが  長くなりましたので続きますね。    
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