第1話

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第1話

 揉み手をしたオヤジさんが、いかつい姿かたちに似合わぬ猫なで声を出し、にじり寄ってくる。 「またか」と、キャシディーはため息を吐いた。  トーシャイト共和国の、とある下町の歓楽街にて。午後六時を回ったところだ。  キャシディーが働き、オヤジさんが店主を勤める娼館は、裏通りでは一番の人気店である。  店の名は、「カーク・カッツェ」といった。トーシャイト共和国の言葉で、「可愛い子猫ちゃん」という意味だ。 「頼むよ、キャシディー。ニナにもアンナにも頼んだんだが、あいつら怖がっちまってな。ほかの女の子にも当ってみたんだが、みんな嫌だって言うんだ」 「……ん?」  想像していた話と内容が違っていたので、キャシディーは首を傾げる。  オヤジさんはつるりと剃り上げた形の良い頭に手をやり、いかにも困っているという風に顔をしかめた。 「恩のあるお客さんでね。『女の子と遊んでみたい』と、せっかく俺を頼ってくれたんだ。願いを叶えてやりたいんだよ」 「んー……。でもさ、今日のあたしの予約はどうなってんの?」 「その辺は俺がうまくやるよ。おまえのお客さんに納得してもらえるように、ちゃんとするからさ」 「うーん」  美しくカールした長い黒髪をいじりながら、キャシディーはしばし思案に暮れた。  オヤジさんがここまで苦心し、受け入れたい客とは、どんな人物なのだろうか。少し興味が湧いてくる。 「確かに、見てくれにはちょっと難があるが……。だが、とても良い御人なんだ。無茶なことや乱暴なことは絶対にしない。俺が保障する」  オヤジさんの熱意がひしひしと伝わってくる。こんなにも頼み込まれれば……。  ――我ながら、お人好しだわ。  自分に呆れながら、キャシディーは肩をすくめた。 「……分かった。いいよ、オヤジさん。引き受ける」 「本当かい、キャシディー!」 「ノーマルプレイでいいんでしょ? あと、チップはずんでね? ――ま、あたしはてっきり、またアーレンスのボンボンが、わがまま言ってきたんじゃないかと思って……。そっちだったら、どんだけ金積まれても、お断りだったけどね」 「アーレンス様は上客だから、それはそれで困るんだけどね……」  オヤジさんは太い眉毛を下げて苦笑すると、突き出た丸い腹を揺らしながら、いそいそと部屋を出て行った。 「ふう……」  一人ベッドに座り、深々と息を吐くこの女の名は、キャシディー。姓はなし。黒髪に瞳は茶色、年齢は二十四歳だ。  身長は一六五センチほどで、痩せ過ぎず、太過ぎず。娼婦の売りものの一つであるバストも、やはり大きくもなく小さくもなく。  容姿はせいぜい上の下といったところだが、明るい性格が男たちにウケて、彼女はこの店で一、二を争う人気者だった。  気風のいいこのベテラン娼婦を、店の経営者すら、なにかと頼りにしているようだ。――先ほどのように。  ドアを叩かれたのは、オヤジさんが去ってから、おおよそ五分後のことだった。 「はあい、どうぞお」  軽やかに返事をしながら、キャシディーは立ち上がった。  板の間に、わずかな家具を載せた狭い部屋。ここがどうにも異質に見えるのは、中央に堂々と座している、大きなベッドのせいだろうか。  簡素な室内にそぐわぬ高級な作りで、まるで貴族の持ち物のようなそれ。  だがこれが、キャシディーの大事な商売道具なのだ。  ――娼婦。  この場所で男性を性的に慰める、それがキャシディーの仕事だった。  ほどなく扉が開き、何者かがまるでお化け屋敷にでも足を踏み入れるかのように、おっかなびっくり入ってくる。  キャシディーはにこやかな表情を保ちつつ、本日の客の姿を、無礼にならぬ程度に検分した。 「ようこそ。楽しんでいってくださいね」 「…………」  男は黙ったまま、頭をわずかに下げた。愛想のない仕草だったが、恐らく緊張しているのだろう。挙動が、あまりにもギクシャクしている。  背丈は二メートル近くと長身だ。そして何より目立つのは、彼が身に着けている黒いマスクだった。目と鼻、口の部分を切り取った布製のそれを、男は頭からすっぽり被っている。おかげで彼が若いのか、年寄りなのか、キャシディーは判断ができかねた。なにより、奇妙だ。 「旦那さん? よろしければ、マスクはお取りくださいな」 「……いえ。これは、このままで………」 「あら、そう……」 「……………」  大きな体に、怪しいマスク。しかも男は寡黙なタチらしい。まるで小説や漫画に出てくるモンスターのようだ。  店の女の子が怖がるのも、分かる気がした。  だが仕事は仕事。受けたからには、まっとうしなければ。 「さて、と」 「!」  キャシディーが近づくと、男はびくっと後ずさり、だが直後気まずそうにふーっと息を吐きながら、体から力を抜いた。  そうだ。キャシディーのような小娘に対する態度にしては、あまりに滑稽である。  図体ばかりデカいくせに、まるでか弱い小動物のような――。  気づかなかったふりをして、キャシディーは営業用の笑顔を浮かべた。 「コート、お預かりしますね」  キャシディーは男の背後に回り、コートを脱がしてやった。  肩幅は広く、服の上からでも分かるほど、男はがっちりした体格をしていた。  コートの襟がマスクの裾にぶつかり、わずかに捲れる。そこからちらりと見えた肌は、焼けただれていて無残なものだった。  ――なるほど、彼がマスクを着けている理由、そして外したがらないのは、これが原因か。 「まずはシャワーを浴びましょう」  男の手を取って、シャワールームに導く。握った手は大きく、荒れていた。労働者特有のそれに接して、キャシディーは少し安心した。  ――これは、真面目な人間の手だ。 「…………」  浴室へ続くガラス戸の前に立ち、男はどうしたらいいのか戸惑っている。  キャシディーはさばさばと、着ていた緑色のワンピースを脱いだ。  たとえ初めて会った男の前でも、裸になることには慣れている。  下着も躊躇なく外し、正真正銘生まれたままの姿になってから様子を伺えば、男はキャシディーの体をバチッと凝視したのち、慌てて目を逸らした。  この客ときたら、娼館の「いろは」が全く分かっていないらしい。  女の体をスケベったらしく鑑賞するのも、料金の内なのに。  くすっと笑いながら、キャシディーは男の胸元に手を置いた。 「お脱がししましょうか? 旦那さん」  からかうように言うと、男はそっとキャシディーの手を払いのけた。  怒らせただろうか。 「……自分でします」  彼の返事は、怒っているというよりも、子供が拗ねているかのように聞こえた。  キャシディーは再び笑みを漏らした。  バカにしているわけではない。純粋に、可愛らしい男だと思ったのだ。  男は覚悟を決めたのか、テキパキと服を脱いだ。しかしやはり、マスクは取らなかった。  ――キャシディーが想像していたとおり、男は素晴らしい肉体をしていた。  筋肉で盛り上がった胸に、丸太ほどはあるだろう太い腕。腹筋はいくつもに割れ、無駄な脂肪など欠片もついていない。  職業柄、数多くの男を見てきたキャシディーも、これほどまでに鍛え上げられた体を見たのは初めてだった。 「こちらへどうぞ」  シャワールームに並び立ち、石鹸を泡立て、丁寧に体中を弄ってやる。 「……っ」  くすぐったいのだろう、男は何度か身動ぎをした。  だが、声は出さない。我慢しているのだろうか。  そうされると、かえって意地悪をしたくなる。一応は娼婦としての、プライドもあった。  シャワーで泡を流してから、正面から抱き合うようにして寄り添う。男はどうしていいのか分からないのか、「気をつけ」の体勢のままだ。そんな彼の乳首を、キャシディーはねっとりと舐めた。 「……うっ!?」  殺し損ねたうめき声が聞こえてきて、キャシディーは満足そうに愛撫を続けた。  男の股間に手を伸ばし、掴む。別にここも鍛えたわけではないだろが、天を指すペニスは常人のそれよりずっと長く、太かった。 「く……っ」  胸と、そして陰茎を同時に刺激された男は、キャシディーの肩に手をやり、押しのけようとした。 「旦那さん、ここへ何しにいらっしゃったの? どうぞ楽になさって、あたしに任せて……」  キャシディーが淡々と言い含めると、男ははあと熱い吐息を零し、同時に脱力した。  ペニスが成長しきった頃合いに、キャシディーは泡でぬめる床に跪き、男のそれを口に含んだ。先から根本まで滴ったシャワーの湯と、自身の唾液を交換するように舐め回すと、幹に舌を絡め、すぼめた唇を上下させた。  行き場を失って迷う生き物のように、口内では陰茎がびくびく跳ねている。睾丸を弱く柔らかく揉み上げ、赤黒い肉棒に浮いた筋に舌を這わせながら、キャシディーは囁いた。 「時間内でしたら、何度出しても構いませんから……。我慢なさらず」  そう言って、男のものを再び口に迎え入れる。キャシディーの魅惑的な誘いに反応したのか、舌先に感じる苦い雫が量を増した。  亀頭にほんの少しだけ歯を当てながら、口の中に収まりきらない幹を手でしごいてやる。 「あっ……!」  息を呑むような声を漏らして、男は遂に射精した。  吐き出された精液は濃く、キャシディーの味覚と臭覚を独占する。  苦く、青臭い……。  目を瞑って男の吐精を受け止めたが、こうして視界まで塞いでしまうと、キャシディーはまるで自分が彼に支配されたような錯覚に陥った。  男の出したものは、それほど勢いも量も圧倒的だったのだ。 「すまない……」  気まずそうに、男はつぶやく。謝る必要などないのに。  だがこういった気遣いや気兼ねは、女を買うたびに薄れていき、男たちはやがて忘れてしまう。  キャシディーはそんな皮肉なことを思いながら、ペニスから口を離した。  男のそれはまだ張り詰めたままで、まだ足りないと訴えているかのようだ。 「ふふ、欲張りさんですね。頼もしいです」  媚びるようなことを言いながら、キャシディーは口に手を当て、男の精液をそっと吐き出した。  全てに慣れており、全てがいつもどおり。  ――そのはず、だったのだ。
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