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「わあっ、クリームソーダのプール……には足りないけど、水槽?」
くまの店員さんに連れられて店の奥へと進むと、通された部屋には大人が一人入れるくらいの大きな金魚鉢があって、そこにはしゅわしゅわのクリームソーダがなみなみ注がれていた。
予想以上の迫力と綺麗さに、ぼくはそっとガラスの容器に触れる。ひんやりとした感触が心地好い。
「どうぞ心行くまでお召し上がりください」
「えっ、いいの? いただきます!」
ぼくは立て掛けられた小さな梯子を上って、クリームソーダの上に行く。
上に乗ったアイスクリームもたっぷりで、大きなお玉で掬ってもちっとも減らない。その下のメロンソーダは甘くて冷たくて、飲むと時折氷がからんと音を立てた。
「おいしい……!」
「それは良かったです。実はクリームソーダの底にはとびきりの隠し味がありまして……よろしければ覗いてみてください」
「……? わっ!?」
勧められるまま覗き込もうとして、バランスを崩す。そしてぼくは、クリームソーダの水槽に落っこちた。
溺れてしまうと慌てるけれど、ふと冷たくて甘い液体に全身包み込まれると、昼間の暑さや悲しみが少しずつ癒される心地がした。
ぼくはそのまま水槽の中を揺蕩う金魚みたいに、クリームソーダの中に浮かぶ。炭酸の泡のお陰か、不思議と苦しくはなかった。
くまの店員さんに言われた通り、底の方へと潜りより濃い緑の部分へと手を伸ばす。これが隠し味だろうか。
その中に、氷とは違う丸くて透明なビー玉みたいなキラキラを見つける。ぼくはクレーンゲームみたいにそれを掴んで、口に運んだ。
「……!」
不意に、胸の中に溜め込んでいたもやもやが、メロンソーダのしゅわしゅわのように泡となって溢れだす。
そうだ。学校に行かなくなって、ぼくは幸せになれるはずだった。
もう嫌な子と会わなくて済むし、苦手な勉強は無理しなくていいし、机にかじりついてなきゃいけなかった時間にスマホゲームだって出来たし、夜更かししても起こられない。毎日が日曜日みたいで、心はすっきりしたはずだった。
重たくて仕方なかった荷物を置いて、どこにでも行けるような気がした。
お布団の中でくしゃくしゃになっていた消えちゃいたいなって気持ちも、どこかに投げられる気がした。
でも、実際そうなってみて、どこか漠然とした不安があったんだ。
他の子みたいに頑張れなくて、何もしないでずっと家に居るぼく。
一人息子で将来お母さんを支えなきゃいけないのに、目の前のことからさえ逃げ出したぼく。
先のことを見て見ぬふりして、今に甘えていたくて、それなのに焦る気持ちで全部が嫌で仕方ないぼく。
一度逃げる選択肢を得たことで、我慢を強いられ続け願いが何も叶わないことに耐えられなくなったぼく。
そんなぼくの言葉を全然聞かなくなって、会話さえよく噛み合わなくなったお母さん。
いろんな不満や不安がどんどん積み重なって、何もかも思い通りにいかなくて、些細なきっかけでついに炭酸の泡みたいに弾けてしまったのだ。
「想いの泡が弾けるクリームソーダは如何でしたか?」
「え……?」
気付くとぼくは金魚鉢の外側に居て、あれ程あったクリームソーダは跡形もなく消えていた。服も髪も濡れていないし、ガラスの内側も透明で綺麗だ。
そしてふと、胸の中にはずのあったぐちゃぐちゃの気持ちがやけにすっきりしていることに気付く。
「……どうなってるの?」
「では、お次はクレープを心行くまでお召し上がりください」
「え、この人もぼくの言うこと何も聞いてくれない……」
混乱している内に次に案内されたのは、お布団みたいに大きなクレープのある部屋。
「わ!?」
甘さと仄かな温かさの残るクレープの香りに吸い寄せられるまま、ぼくは何も考えられずクレープに飛び込む。
ふわふわクレープに寝転がりながら、ぼくはそのままかぶりつく。柔らかな生地に包まれた溶けかけの生クリームと甘いフルーツ。ふりかけられたカラフルなチョコスプレーにテンションが上がった。
「おいしい……いくらでも食べられそう」
「それは良かったです。実はクレープの中にもとびきりの隠し味がありまして……よろしければ覗いてみてください」
「……わあ!」
促されるままクレープをそっと捲ってみる。そこには目に見える部分よりたくさんのフルーツが包まれていて、生クリームを纏っていてもひとつひとつが鮮やかだった。
その中に、先程クリームソーダの中で見つけた透明なビー玉みたいなキラキラが埋もれているのに気付いた。恐る恐る、ぼくはそれを口に含む。
すると再び、不思議な感覚がした。
眠気のようなふわふわとした感覚に抗えず、ぼくはクレープの布団に沈む。温かくて柔らかな甘い微睡みの中、ぼくは小さい頃の夢を見た。
何も不安なこともなく、当たり前のようにお父さんとお母さんと三人で暮らしていた頃の夢。
まだ意地悪な子やどうしようもない苦しみに出会う前の、穏やかな日々。
世の中の理不尽や嫌なものを知る前の、目の前のものすべてが新鮮で楽しかった頃。
いつまでもこうしていたい。ずっとこの優しい夢に浸っていたい。そんな気持ちにさせられる。
「……心を包み込むクレープは如何でしたか?」
「あ……」
けれど気付くとぼくはクレープの布団の外に居て、固い床の感触にぱちりと目を開く。
くまの店員さんは、白い手袋をした掌を差し出してぼくを起こしてくれた。
そしてふと、ここしばらく漠然とした不安にかられて忘れていた穏やかな気持ちを思い出す。
「……せっかく休めるんだから、もっと心の底から休まないと意味ないな……」
クリームソーダ同様大きなクレープはもうなくて、名残惜しさを感じつつも、懐かしい安らぎに胸が満たされる。
そしてその後も、くまの店員さんに案内されるままぼくは夢のようなスイーツの部屋を巡った。
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