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「もしかして俺、変なこと言った?」
「君のせいじゃあないだろう」
「そうよ、いつもあのひとはそうなのよ」
少女が口をはさむ。
「君は今の紳士をよく知っているようだね。伯爵というのは本当の名?」
「さあどうかしら」
少女はふらふらと首を横に振る。
その拍子に大きな耳も長い髪も一緒に揺れた。
「ここでは毎晩の様に仮装舞踏会が開かれているのよ。そしてここに居る人達は、その時に名乗った名が全て。あたしだってそうよ。あたしが今ここで、何処かの国の公女さまとでも名乗ればそれもまたここでは本当のことなのよ」
「なるほどね。ここではここなりの役割が皆あると」
キムは頬に指をちょいと当て、面白そうに話に耳を傾けた。
「そ。だから今日のあたしはここではアリスの兎よ。貴方がたはだあれ?」
「僕達?」
彼らは顔を見合わせた。
「考えてこなかった?」
くすくす、と少女は笑う。
「じゃああたしが付けても構わない?」
二人は同時にうなづいた。
少女はそれではまず、と前置きをすると、Gの方を向いた。
「あなたはその白の軍服がとてもよく似合うから、『大佐』なんてどお?」
「悪くないな」
「俺は? 俺は?」
「あなたは―――」
自分を指差し催促するキムに、うーん、と少女は唇に人差し指を当てると、やや上目づかいに見据えた。
「笑い猫、なんてどう?」
「笑い猫ねえ…… 猫は俺の柄じゃあないと思うけど」
青年は栗色の長い髪をざっとかき上げる。
確かにそうだ、とGも思う。猫よりは犬のような気がする。
「でもいいさ。そうそう悪くはない」
「決まりね」
少女は紅の瞳を輝かせた。
「ところで君は、誰の兎なの?」
「あたし?」
白いレースにくるまれた少女の手がつ、と人差し指を立てた。
何かを捜すかのようにその指は人混みをたどっていたが、やがて一つの場で止まった。
「見て」
少女は絶対の命令であるかのようにそう告げた。
「あそこにあたしの御主人様がいらっしゃるわ」
Gは少女の指の向く方向へつ、とその視線を向けた。
は、と目を見開く。
あれは人間か?
彼の脳裏に、反射的にひらめいたのはそんな問いだった。
それは大きなビスクドールだった。
少なくとも彼の目にはそう映った。
どっしりとした光沢のあるエリザベス朝風の蒼の衣装に全身をくるまれたそれは、そこにそうして立っているだけで、周囲を息苦しくするくらいの強烈な存在感があった。
だがとても人間とは思えなかった。
それが呼吸していると考えることができなかった。
例えそれが、たっぷりとした孔雀の羽根の扇を心臓の鼓動くらいのテンポで緩やかに揺らせていたとしても。
あれを知っているか、とGはキムに目配せをする。
彼は曖昧に肩を竦めた。
「女王様」
兎の少女は名乗った名さながらに軽い足どりで、彼女の主人の元へ駆け寄った。
回転数を間違えた映画のフィルムのように、蒼の女王の首が軽く角度を変え、召使いの少女に向かってゆっくりと手をさしのべる。
「女王様、ね」
ふとキムがくす、と笑っているのにGは気付いた。
「何がおかしい?」
「いや、仮装舞踏会って楽しいな、とね」
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