蕩人坊

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 外は虫がいきいきしているほど暑く、汗を拭って姿勢を崩す人間を虫たちが嘲笑っているようで、首を伝う汗を無視して凛と胸を張ってみました。私は格好良くアスファルトを踏んだつもりが、晴恵にハンカチを渡されてしまい二度恥ずかしかった。 「暑いしアイスクリームでも食べない?海鮮焼きのお店にあったはず」  あのイカをまた見るのかと思ってしまったけれど表情は変えずに了承した。  店主は気さくなお方で、アイスクリームを渡すまでにあれも美味しいこれも美味しいと独り言のように話し続けて、私たちの相槌は聞こえていない。 「どう、こんだけつけて値段はこれでいいよ」  いつの間に話が進んでいたのか、アイスだけで結構ですと断ると店主は不機嫌そうに電卓を放り投げた。圧力だけで幾分か暴力になることを彼は知らないのだろう。けれど私は同じ土俵に立ちたくありませんので、深々と頭を下げてお礼を言い、笑顔でアイスクリームを受け取った。数歩進んで振り返ると別のお客掴まえては微笑の仮面を被っている。簡単に剥れる仮面なら表現は素直であって、声で信頼されてみよ。 「向こうで座って海でも見ながら食べようよ」  私の気を察したのだろう。感情に触れることもせず、もちろん便乗することもせず、ただ雲のような笑顔を向けている。仮面を着けるならこういうものを身に付けよ。  晴恵の一歩後ろを踏み出した瞬間、左肩に蝿が誘った気がして反射的に振り向くと、私と目が合った者があった。私はそれに詳しくないので瞬時に名前は出てこなかったけれど、言うなれば阿形像のような恐ろしいほどの目力のある仏像がお店の中からこちらを真っ直ぐ見ていた。人と目を合わすことも怖い私が我を忘れるほど意識を吸われ、晴恵の声で音を取り戻した時にはアイスクリームが溶けてしまっていた。指や甲に垂れた白い線が女の手のようでやけにいやらしい。 「ねぇ、何してんの?全然来ないからお手洗いでも行ったと思って待ってたのに」 「あ、ごめん。行こ」  人に見られないように片方の手でもう一方を覆い舌先で白い線を舐め上げる。一筋、もう一筋、傾けてもう一筋、裏返せばまた二筋も。捻った手首の甲を舐め、視線を上げると渇いた目で私を睨む晴恵。声には出さず口だけ動かしたようだけれど、私にはわかってしまった────おんなか。
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