4人が本棚に入れています
本棚に追加
カゲは女の腕に触れた。
腕、手、前足……どう表現すればいいのか分からないが
人間であれば腕の部分だ。
ざらざらして、短く尖った繊毛が細かく生えている。
「うわっ。触らないでよ。気持ち悪い」
女はカゲの手をはらいのけて、後ろにとびすさった。
軽くあとずさっただけなのに、二メートルほど跳躍したように見える。
「だから見張りなんて嫌だったんだ」
「待ってくれ」
カゲは咽喉から声をしぼりだした。ヒューヒューと言う音が消えて
ようやく言葉を発することができた。
女は驚いて目を更に大きく見開いた。
「あんた、わたしたちの言葉が話せるの?」
「ほんの少し」
「あんた、本当にグアヤキルの人間かい?あそこのヒトは
まったく話せないものも多いって聞くよ」
「俺の出身は”アーク(聖地)”だ」
「アーク。へえ。なるほどね。上流階級の生まれってわけだ。
それで私たちの言葉がわかる」
「ここはどこだ?」
「バースの地下よ。あんたは悪夢の沼に落ち込んだのさ」
「沼?水なんてなかったが」
「ちがう。あの砂漠は感情のないものしかわたれない。もしくは
感情を殺したもの。だからヒトがあの砂漠を渡すのは不可能なんだ。
あそこを行き来できるのは、私らのような生き物だけさ。
だけど、たまにあの砂漠をわたることができる奴が現れる。
あんたのようにね。最後までわたりきる奴もいるが、たいていは
あんたのように途中で沼に飲み込まれちまう。
何かの感情にとらわれたんだろうね。」
カマキリの女は一息つくと、「わたしたちは神と契約した。
おちてきた者が死ねば、そいつは神からのご馳走として
ありがたくいただく。だが、生きていた場合は、われらのゲームに参加する。
お前が勝てば、解放される。だが、われらが勝てばお前は死ぬ」
カゲは虫のような目で女を見ていた。
火が彼の顔に陰影を与え、彼の横顔を生きた彫刻のように見せていた。
最初のコメントを投稿しよう!