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1960年代の話である。
東京は月島の近くに、ヤンさんという中国人が住んでいた。
当時、そのかいわいでは中国人の評判があまりよくなかったらしい。
全国的にはどうだったか知れないが、この一帯では左派による情報管理や人権団体の活動により、世の中で大っぴらに中国人が非難されることはなかったというものの、どの国籍であっても素行の良くない者はいる。
少数派であるならなおさらだった。
ヤンさんは特に悪評もなく、むしろ周囲から好かれている当時三十代の瘦身の男性だったが、同胞が近所で問題を起こすたびに心を痛めていた。
そのかいわいの日本人は、悪さをしても公に批判されない中国人不満を抱えていたし、そのかいわいの中国人は中国人で、少数派ならではの生きづらさを抱えていたと聞く。
ヤンさんは、人柄がよく仲間が多かったが、それだけに、両方の勢力からよく相談を持ち掛けられ、そのたび決まって、
「あんたはおれたちの側だよね?」
と顔を覗き込まれていた。
ヤンさんには、特に心安くしていた、とある家族があった。
母一人子一人の二人家族で、近所ということもありなにくれと面倒を見てくれていたヤンさんに、特に息子のほうがなついた。
母親はまだ若く、そのために「あれはヤンとくっつくんじゃないか」としょっちゅう噂になっていたが、少なくとも周囲が知る限りは、二人がそうした仲になることはなかった。
ある日、もんじゃ屋――今のように値の張るものじゃなく、駄菓子のようなもんじゃだった――の店先のテーブルで、仕事を終えたヤンさんがもんじゃをつつきながらビールを飲んでいた。
すると店の中のテレビから流れるニュースで、中国人による日本国内でのとある犯罪が取り扱われていた。
テレビの報道で中国人が悪役として扱われるというのは、よほどのことだ。
ヤンさんは深くため息をついた。
店の中の者たちが、ちらちらとヤンさんに視線を送ってくるのが分かった。
自分が怒る筋合いではない。ヤンさんはビールを飲みほして立ち上がった。
そこに、日本人の酔漢の二人組が絡んだ。
「また、ぼそぼそしたもんじゃだなあ。中国人は、もっと上等なもんが食えねえのか」
ヤンさんは少し考えてから、言いたいことだけを言い返した。
「ここのもんじゃはうまいよ。同じビールでもここで飲むのがうまいんだ」
酔漢たちは、なにを言われたのかがよく理解できなかったのか、ぽかんとしてから、目を吊り上げた。
「とんちんかんなこと言いやがって、この、」
ああ、けんかになる。
ヤンさんは腹を決めた。
その時、小さな影が彼らの間に割って入った。
「なにしてんだ、おじさんたち」
そう言ったのは、十一歳になる、例のヤンになついた子供だった。
「なんだこのがき」
「ヤンさんから離れろ。ヤンさんはなにもしてないだろ」
酔漢がはなじらむ。
「事情も知らねえで、こいつ。お前日本人だろ? 引っ込んでろよ」
「事情なんていっつも同じだ。ヤンさんが絡まれて、ヤンさんが悪かったことなんてないんだ。おれは、日本人のおじさんたちのほうが嫌いになりそうだよ」
このう、とこぶしを振り上げた酔漢を、もんじゃ屋から出てきた大人たちが慌てて止める。
そのまま回れ右させられた酔漢たちは、せめてと捨て台詞を吐いた。
「見てみりゃ、貧乏そうながきだな。お前も上等なもんじゃないな」
ヤンさんが椅子を蹴って立った。
しかし、少年が言い返すほうが早かった。
「おれは分かんないけど、ヤンさんは上等だよ。誰に聞いてもそう言うよ」
もう一歩で酔漢に殴り掛かりそうになったヤンさんは、それを聞いて、身動きできなくなった。
もう酔漢のことなどどうでもよくなってしまった。
酔漢を帰らせた大人たちは、少年をたたえた。
「よく言ったな、ぼうず」「ヤンさんは立派なもんだもんな」「国籍は中国人でも、ヤンの心は日本人だぜ」
それを聞いた少年は、しかし、首をかしげる。
「それも変だよ。まるで、日本人が、日本人ってだけで他の国の人より上みたいじゃないか」
なにを生意気な、ととがめられてもおかしくなかったが、少年が幼すぎたのが功を奏したのか、大人たちは素直だった。
「言われてみりゃあ、そうだなあ。日本人でも、ろくでもないのがいるな」「すまねえな、ヤン。そういうつもりで言ったんじゃないんだ」
ヤンは座り直した。
そして、ビールをもう一杯注文した。
少年がテーブルにかじりついてきて、言った。
「ヤンさん、中国は卓球が強いんだろ? 日本も強いんだけど、最近は中国に勝てないんだ。今度、おれと卓球やろうよね」
「いいよ。僕は、すごく卓球が強いよ。ラケットじゃなくスリッパ使っても、僕が勝つよ」
フッフッフ、と二人は笑った。
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少年が集団暴行を受けたのは、その翌日だった。
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