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 いつもは単調な色合いの校内が彩られて、どこもかしこも活気を帯びている。彩度の高いクラスTシャツを着た菜絵は、人波に揉まれながら多目的ホールに向かっていた。十三時が近い。  ――明日の十三時、三年二組の教室まで会いにいきます。  菜絵が柚希に送ったメッセージでは、確かに三年二組を指定している。柚希の返事は以前菜絵が送ったときと変わらず、会えたらとぼかされていた。  多目的ホールは展示のみだが、それなりに人がいる。  洋裁部の展示前に迷いなく訪れた菜絵は、久しぶりの後ろ姿に手を伸ばした。  つかもうとした瞬間、するりと抜ける。菜絵の手が空をつかんだ。 「柚希先輩!」  呼び掛けは置き去りにされたまま、逃げ出した背中がどんどん遠ざかっていく。菜絵は見失わないよう前を見つめて人混みの合間を縫って走った。  三か月が経っていた。四人で過ごした日々が遠い。二人で過ごした時間はなおさら。  一般参加者が入れない校舎に駆け込む柚希を菜絵は見逃さなかった。入り口にたどり着き、階段から聞こえる足音を確認すると一段飛ばしでのぼっていく。  やがて最上階にたどりついて、追い詰められても振り向かない柚希の手首をそっとつかんだ。息が上がった二人はぐったりとしていた。 「柚希先輩」  喧騒は遠く、家庭科室よりも静かだった。 「三年二組の前じゃなかったの?」 「柚希先輩のことだから、場所を指定すれば別の場所に行くと思って」 「よく分かってる」  気まずそうな声。そのまま言葉が紡がれていく。 「菜絵ちゃんのタイトル、チョコレート色にしなかったんだ」 「柚希先輩が好きじゃないものから名前を取りたくなかったので」  柚希はようやく菜絵を見た。その顔には諦めの色が浮かんでいる。  菜絵は二つのワンピースを思い返した。キラリと光る飾りボタン、丸っこい字で書かれたタイトル。丁寧なボタン穴、端正な字で書かれたタイトル。 「嘘ついてごめんなさい。チョコレート色のワンピースを仕立てたのは、卒業した先輩だった」 「それは本当にもういいんです。でも、どうして嘘をついたのですか」  菜絵はその答えを確認したかった。  柚希は花を見つめるような眼差しで菜絵を見ると、ため息をついて言った。 「洋裁部に入ってほしかったからだよ」  菜絵の手がやんわりと振りほどかれる。 「今思えば、嘘なんかつかなくても菜絵ちゃんは洋裁部に入ってくれたのかもしれない。でも、洋裁部に入ってもらうだけじゃなく、目の前の相手の心を容易く手に入れられるかもしれなくて、あのとき私の嘘が分かる人はいなかった」 「……顧問の先生なら分かる可能性があるのでは」 「前顧問にあのワンピースを仕立てだのは誰かと確認してから洋裁部に来ているのであれば、洋裁部の先輩が作ったものではなかったのかという質問をするわけがない」  菜絵が入部したとき、顧問の先生は新しく担当になったばかりだった。その上、よほどのことがない限り「私が作った」と言っている人を疑って裏取りしにいくことはない。  当時の状況を考えて黙り込んだ菜絵に手を伸ばしかけた柚希は、逆に一歩下がった。 「菜絵ちゃんと仲良くなっていく後輩たちを見ていたら、あんな嘘つかなければよかったっていう後悔がにじんできた。どんな顔をして会えばいいのか分からなくなってしまった。戻りたい気持ちを捨てられなくて退部もできなかった。文化祭が終わったら、今度こそけじめを付けるよ」 「辞めるんですか?」 「それとも、辞めずに活動参加するほうが罪滅ぼしになる?」 「罪滅ぼしなんてしなくていいです、だって」  菜絵は緊張を逃すように深く息を吐き、言葉を続けた。 「私も嘘に甘えていたから。柚希先輩に罪悪感がある限り、可愛がってもらえると思ったんです」  柚希は信じられないものを確認するかのようにゆっくりと瞬きをした。 「好きです、柚希先輩。真剣な横顔も、迷いなく動く手指も、最後まで嘘を突き通せない真面目なところも」  深く澄んだ丸い目がじっと菜絵を見ている。沈黙は長く菜絵の身体に汗が滲んでいく。まさか嘘だと思われてはいないだろうかと菜絵は不安になってきた。 「……ありがとう、私も好き」  ようやく紡がれた返事は謝罪のような声色をしていた。 「そんな申し訳なさそうに言われたら喜びにくいのですが」  菜絵が拗ねると、柚希は困ったように微笑んで下を向いた。 「一個だけ、わがままを聞いてもらえませんか」 「何個でも」  涙声がすぐに答えた。菜絵は手早くティッシュを差し出す。 「私にワンピースを作ってください」 「いいよ」  柚希は鼻をかみながら笑った。 「サイズとかまた今度確認しにいくけど、どんな形がいい?」 「こだわりはありませんが、ボタン穴が付いていると嬉しいです」 「生地の色は?」 「黄色がいいです。できたら山吹色のような濃い色。ちなみに柚希先輩の好きな色は緑ですか?」 「うん、緑が好き。すぐには作れないけど、いい?」 「私の誕生日、三月三十日なんですよ」 「……じゃあ誕生日プレゼントにするね」 「柚希先輩の誕生日も教えてください」  知らないことを全部聞き出そうと菜絵は前のめりになった。柚希は答えながらも辺りを気にして、「先生に見つからないうちにここから出なきゃ」とひそひそ話した。菜絵は頑固な幼子のようにじっとしていたが、柚希に宥められてやっと動いた。 「そうだ」  菜絵はポケットからハッカ飴を取り出す。 「道佳ちゃんから。私も含むかわいい後輩たちが柚希先輩のこと待ってますよ」  柚希は驚いた顔をして、両手で大事そうに受け取った。
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