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深夜一時。いつも九時には瞼が重くなるけれど、今日は一通の手紙を書くためだけに夜更かししていた。
私が、私の、私は、いつも、いつから、あの日、あの時、そんな小さな言い回しの違いが、気になって仕方がない。
彼の事を初めて意識したのは、雨の日だった。
家までは徒歩十分。濡れて帰るには、少し長い距離だ。
屋根のある自販機の下。バッテリーの切れたスマホ。
何もすることがなく空を見上げていたら、横から手が伸びてきた。
「はい」
「……え?」
「寒いから温まったほうがいいよ。あ、藤崎って、もしかしてこれ苦手だった?」
同級生だけど、あまり話したことのない男子。
斎藤くん。サッカー部で、黒髪が似合っていて、女子たちにキャーキャー言われているのを知っている。
そんな彼が手にしていたのは、カフェオレだった。
苦手ではなく、なんだったら私の大好きな飲み物だ。
「ありが……とう。ええと、お金――」
「いらないよ。ついでだし」
斎藤くんの手にはポカリがあった。スポーツマンらしいなと思った。
帰りに先生に書類の整理を頼まれて少し遅くなったからか、学生はほとんどいなかった。
まるで、私と斎藤くんだけしかいないみたいに、雨の音しか聞こえない。
何で買ってくれたのかわからないが、ひとまずカフェオレをいただく。
その際、わざわざストローを刺してくれた。
「はい」
優しい。それが、ちょっと遅めの、彼の第一印象だった。
隣でポカリを飲む斎藤くんを横目に、なぜ奢ってくれたのかを考えていたら、「雨、あがらないね」と彼が呟いた。
多分私に声をかけてくれているので「そうだね」と答える。
「藤崎と俺ってあんまり話したことないよな」
「そうかも。って、それ言われると思わなかった」
「え、なんで?」
「なんでってわからないけど、なんか恥ずかしくない? ていうか、聞いていい? なんで、ジュースおごってくれたの?」
「いや、隣で一人で飲むのって、なんか申し訳なくね?」
それを聞いて、ふふふと笑ってしまう。いつも教室で友達と話しているときは元気な人だと思っていたけれど、意外に繊細なのかもって。
「いい人なんだね」
「ジュース一本でそう思われるならお得だな」
それから何気ない会話が続いた。同級生なのに、まるで初めて会ったみたいに、好きな映画とか、嫌いな科目とか、好きな先生とか、部活の話とか。
教室で見る斎藤くんは声が大きかったが、隣で話している斎藤くんはどちらかというと静かだった。目線を合わせて話してくれるところが、好印象だった。
彼は私と同じでバッテリーがなかったのか、スマホを触る事は一度もなかった。
小雨になり、カフェオレが3割ほどになったころ、彼がこれならいけそうだねと言った。
私は頷いた。
「藤崎って、家は近いの?」
「ええと、二丁目だけど――」
「だったら、走るか!」
「え?」
「ほら! また降ってきたら大変だし!」
手を引っ張られているわけでもなかったけれど、私は彼に釣られて走った。
文芸部の私が走るなんて、体育のときぐらいだ。
でも、彼の大きな背中を見ていたらあんまり気にならなくなってきた。
やがて曲がり角、彼は左らしく、そこで分かれた。
よくわからない出来事だった。残ったカフェオレを片手に、走って家についた。
「お姉ちゃん、どうしたの? 凄い息切れてるけど」
「……そうだね。ちょっと疲れたかも」
「髪も凄い乱れてるよ」
それは聞きたくなかった。
「あれ、カフェオレなんて飲むの?」
いつも学校で飲んでいたからか、家ではお茶ばかり飲んでいた。
「たまにね。あなたにはまだ早いかな」
五歳年下の妹への優越感に浸りながら、暖かい湯船につかった。
翌日、体育の授業で、気づけば斎藤くんを目で追いかけていた。
不思議なことに、何度か目があった。
放課後、彼が声をかけてきた。
「昨日、ごめんな」
「え? 何が?」
「俺、結構全力で走ったから申し訳なかったなって。ってよく考えたら藤崎も速かったけど」
もしかしてずっとそれを考えていたのだろうか。
やっぱり、斎藤くんっていい人だ。
そういえば幼少期から足が速かったことを思い出す。むしろ、思い出させてくれてありがとうと言いたい。
「気にしないで。あの後結構降ってたし、濡れなくて良かった」
「そうだな。確かに」
そういえば斎藤くんの家はどこなのだろうか。私よりも遠かったら、濡れていたかもしれない。
「あ、そういえば」
私は、スタバの無料券を思い出した。
余分に余っていて、お母さんからもらったやつ。
普通のお礼。
「これ、今日までなんだけど、いる? この前のお返しで」
「いいの? 結構高いやつでしょ。釣り合ってないような」
「ふふ、気にしすぎ」
「じゃあ、帰りにまた」
「え?」
そうか。普通に考えたら一緒に行くことになるか。
……まあ、いいか。
私たちは一緒に下校して、駅前のスタバで飲み物を買った。
テイクアウトの予定だったが、彼は当然のように席に座っててといって、そして飲み物を取ってきてくれた。
席に座って真正面から見ると、とんでもなく美形だ。
横から見るときとは、また違って見える。
「藤崎って、スマホ持ってないの?」
「え?」
「雨宿りしてるとき、触ってなかったから」
まさか私と同じことを考えているとは思わなかった。
バッテリーが切れていたと答えたら、そうなんだ、とそっけなく返ってきた。
そっちは? と聞いたら、もちろんスマホは持っていたが、同じく切れていたらしい。そして、今も切れているとか。
まともに話すのは初めてだったけれど、思ってたよりも気さくな人で、モテる理由もわかった。
飲み終わって、普通に帰宅。
「お姉ちゃん、なんか嬉しそうだね」
「そう?」
確かにスタバの新作、美味しかった。
翌日の放課後。
なぜかまた声をかけられた。
「今日は何が飲みたい?」
「……え?」
「スタバのお礼に」
「いや、私は前のお礼を返しただけだから、いらないよ」
「金額があってなかったから。それは悪いよ」
やっぱり律儀な人だ。
でも、最後の授業が体育だったので、喉が渇いていた。
喫茶店へ行った。
カフェオレではなく、なんとなくオレンジジュースにした。
やっぱり彼は、スマホ触らなかった。ちなみに今日はカフェオレだった。
それから不思議な関係が続いた。
教室ではあまり話さず、帰りに飲み物を一緒に飲む。
私も申し訳なくて驕ったら、向こうもおごってくれる。
そして、スマホはお互いに出さない。
それがいつのまにか当たり前で、楽しくて、気づけば――。
「……好きだな」
何か大きなきっかけがあったわけでもない。
話していると楽しくて、会えると嬉しくて、放課後が待ち遠しくなっていたのだ。
惚れやすいのかもしれない。でも、これがすべてだ。
気づいたら手紙を書いていた。
渡そうと思ったわけではなく、自分の気持ちを整理したかった。
出来上がったのは四時だった。
後、三時間しか眠れない。でも、満足のいくものができた。
お守り代わりに鞄に入れて、そのまま眠った。
「……これを渡したら、何か変わるのかな」
凄い武器を手に入れたかのような私は、ちょっとだけ遅刻した。
放課後、いつもの自動販売機。
私は、彼が何でも選んでいいよと言ったので、めずらしくポカリを選んだ。
あの日の彼の気持ちを味わいたかったからだ。
彼は、そんなの飲むんだ? と困惑していたが、私は飲んでみたくなったと答えた。
屈託なく笑う彼。
美味しくなかったら交換するよと言ってくれる彼。
その気遣いが、優しさが、私に勇気をくれた。
気づけば手紙を渡していた。
ポカリを持って、その場から走り去った。
気づけばあの雨の日よりも速かった。
家に帰ったら、当然後悔した。
「お姉ちゃん、ゾンビみたいな顔してるよ」
「……そうかも」
ああ、この関係が終わる。
放課後。いつもの楽しい時間が、恐怖の時間に変わった。
彼は、いつも校門の外で待っている。
入口の近く、きっと答えが確定する。
心臓の鼓動が早い。
そのとき、天気予報が晴れだったにもかかわらず、雨が降ってきた。
私はそのまま学校側へ戻り、雨宿り。
でも、もし彼が外で待っていたら? いや、もし……。
そう思って、私は飛び出した。
濡れた身体、震える心臓、外に出ても、彼の姿はなかった。
悲しい。悲しい。でも、もしかしたら待っていてくれていたのかもしれない。
もしかしたら……。
気づけば立ちすくんでいた。びしょびしょだ。今さら戻っても意味がない。
私は雨の中を歩いていく。
いつもの自動販売機、そこで、彼の姿を見つけた。
私に気づいて、駆け寄ってくれる。
「な、なんで雨の中!?」
「え、ええと……その……」
「とりあえず、こっち!」
いつもの自動販売機、鞄から取り出してくれた大きめのタオルで拭いてくれる彼。
「ごめん。外で待ってたんだけど、来なかったから自動販売機かなって」
申し訳なさそうな謝罪。待っていたとはいっても、それが答えだとわかった。
その場から逃げたかった。だけど、彼は私の手を掴んだ。
「ほんとは朝に言おうと思ったんだ。でも、いつもの自販機の前でちゃんと言いたかった。ここが、大事な場所だから」
「……言いたかったって?」
「俺ずっと好きだった。雨の日、実は……傘、途中で放り投げて」
「え? 放り投げた?」
私と雨宿りするために、なんと遠くへ投げたらしい。
「ちゃ、ちゃんと後で拾ったよ!? で、その……てんぱってたから、カフェオレ選んでて。ちょっとキモいよな。渡してから気づいて」
「どういうこと?」
「……実は、昼休みずっとカフェオレ飲んでるの知ってたんだ」
まさかだった。あれは、偶然じゃなかったのだ。
斎藤くんはそれから、なぜ私のことが気になったのかを教えてくれた。
覚えていないが、廊下で私は彼の持ち物を拾って渡した。
それが、可愛かったらしい。
私も、彼を好きになったのは、楽しかったからだ。
劇的な何かがあったわけじゃない。それでも、好きな気持ちは同じだ。
「手紙をもらって本当に嬉しかった。ただ、ごめん。まだ読んでない」
「読んで……ない?」
あれほど考えたのに? なんで? どういうこと?
「俺から言いたかった。ずっと」
そういうと、彼は深呼吸した。そして――。
「俺と付き合ってください」
その言葉に私は一瞬何が起きたかわからなかったが、嬉しくて気づけば涙を流していた。
初恋は実らない、それが、私の最新の検索履歴。
私は小さく頷いた。
それから、彼は、大きな声で、ごめん! 今から読む! といって、私の前で、一生懸命に手紙を読み始めた。
時折、子供みたいに微笑んでるのが可愛かった。
でも彼は凄くわがままだ。私の書いた手紙を後に回すだなんて。
許せない。
「ありがとう。手紙書いてくれて――」
「ちゃんと、返事を聞かせて」
私は、少しだけ強く言い放った。
彼だけ告白できるのはズルい。私も、ちゃんと聞きたい。
少しだけ間をおいて、彼は答えた。
「はい。こんな僕でよければ、よろしくお願いします」
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