5.雨上がり

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5.雨上がり

 すっきり謎が解けた小箱から、トウマくんのグラスへと視線を移す。中身がストローを通して、みるみるうちに彼の喉へと消えていく。  まるで早送りの映像みたい!   なんてことない、ささいな出来事にくすりと笑う。 「どうしたんだ?」  トウマくんはきょとんと首をかしげる。 「わたし、なんだか今、とっても楽しい。トウマくん、ありがとね」 「こちらこそ、ありがとうな。ジュリ、本当に天才だよ。音を当てられるだなんて」 「へへん。小さい頃から、音楽やってるからね」  わたしは得意げに笑う。  トウマくんもつられて笑ってくれた。  でも、その表情はすぐに真顔に戻る。 「なあ」 「ん?」 「しばらく、ピアノ弾いてないんだろ? 親に止められてるのか?」 「あー、違うよ。レッスンをお休みしたらどうかっていうのはママの案だけど、家でもまったく弾かないってことは、自分で決めたの」  わたしはテーブルへと視線を落とす。そこには小さなシミがある。 「でもさ、さっき息抜きは必要だって言ってただろ。木の下で音がわかったときのジュリ、すっごくいい表情してた。本当はもっとピアノ弾きたいんじゃないのか?」 「うん。……あー、もう。正直に言うわ! わたしはね、試験に落ちたときのことを考えてたの! 不合格だったときに、ピアノばかり弾いてたからって思われたくないから」 「あー。そういうことか」 「でも、やっぱり……。ピアノから完全に離れるのは止めようと思う。ストレスがたまるから。もちろん、受験がうまくいくように勉強もするよ」 「俺もそれが良いと思う」 「それにね、今日、わたし、授業中の集中力すごかったんだから」 「そうなのか?」 「うん。気を緩めると、ナゾのことばかり考えてて、このままじゃ、受験に影響して「不合格になったのは、あのナゾのせいだ!」ってなるんじゃないかって気がしたの。そんなのイヤだって思ったら、びっくりするくらい、先生の声が頭に入ってきた」 「ははっ。ジュリにはそういうやり方が合ってるのかもな。こう、なんていうか……。上手くいかなかったときに、なにかの責任にしたくないから頑張るっていう感じ」  トウマくんが言った。 「そうかも!」 「まあでもさ、頑張ってるの、みんなわかってると思う。ジュリの母さんがそんな感じのことを言ってたの、俺、知ってるから」 「え、そうなの?」 「ああ。俺の母さんに話してた」 「なら、よかった。さっそく帰ったらピアノ弾こうかな」  わたしの頭の中には、ショパンの「子犬のワルツ」が流れだした。 「また、そのうち聴かせてくれよ。昔みたいにさ」  トウマくんが昔みたいにニカッと笑うから、わたしの心臓はとくとくと音を立てる。 「もちろん! 楽しみにしてて」  わたしたちは、軽い足取りで喫茶店を出た。  雨は止んでいた。 「あ! トウマくん、空見て!」 「(にじ)か。久しぶりに見た」 「わたしも!」  というより、空を見たのが久しぶり。彼もそうだったりするのかな。  わたしたちは、傘を差していたときよりも、ちょっとだけ近い距離で並んで歩く。 「じゃあ、俺、コンビニ寄って帰るから」 「うん」  交差点に差し掛かり、わたしたちはバイバイする。  ふいに、やってきたのはぽかりと穴があく感じ。  なにこれ?  さみしい、という形容詞が頭に浮かぶ。 「いやいや、トウマくんになら、すぐ会えるって」  クラスもおんなじだし、家だって近いんだから。  そう自分に言い聞かせながら、わたしは歩き続ける。 「あっ」  視界にパステルカラーのあじさいが映った。人をほっとさせる柔らかな紫色。青々とした葉っぱには、つやつやの雨粒がのっている。  そばには一匹の愛らしいカタツムリ。 「なんだか、メルヘンチックな光景! 梅雨(つゆ)も悪くないかも」  ブレザーの内ポケットからスマホを取り出して、わたしはパシャリとあじさいを撮った。 「いい感じ!」  誰かに見てほしい、とわたしは思った。  最初に浮かんだのは、初恋の人。 「そうだ!」  あとでトウマくんに送ってみよう。  スマホをポケットに仕舞って空を見る。  そこにはさっき彼と見た虹がまだうっすらと残っていて、わたしはそのことが嬉しかった。 完
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