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オモイデ
誰もいない真っ暗な部屋。時折、ドオォ……ンと遠雷に似た低い音が鳴り響く。閉じたカーテンの向こうを窺い知ることは出来ないけれど、雨音は聞こえない。
ずっと――ボクは、ドキドキしている。
「やれば出来るじゃん! ありがとね、テルテル!」
数時間前、あの子は制服姿で帰ってくると、机にカバンを放り出し、ついでにボクをツンと弾いた。
「ママぁ! 帯、結んでぇ!」
ドアを開け放ち、廊下に向かって叫ぶと、制服のブラウスもスカートもポイポイと脱ぎ捨てる。
「こら、ちゃんとハンガーに掛けなさい」
「ママ、早くぅ!」
部屋に入ってきた母親に呆れた声で叱られるも、女の子は悪びれずに朝顔の浴衣に袖を通す。母親は浴衣の着丈を調節しながら腰紐、胸紐と順に結び、おはしょりを整える。着付けの心得があるのか、手慣れた様子で伊達紐を結ぶと、最後に朱色の帯を文庫結びにした。
「はい、これで良し! 慌てて走って転ばないでよ」
「もー、子どもじゃないんだからぁ」
「子どもじゃないの」
女の子は、姿見の前に移動して、セミロングの髪を器用にまとめ始める。
手の空いた母親は、ベッドに散らばる制服をハンガーに掛け、壁のフックに吊した。それから、カーテンレールのボクに気がついてクスリと微笑んだ。
「てるてる坊主。あんた、可愛いことするのね」
「パパが、毎年運動会の前に作ってくれていたじゃん」
「……そうだっけ?」
「『更紗が活躍できるのは運動会だけなんだから』って言ってさぁ……酷いよねぇ」
「ふふふ、本当のことじゃない。あんた、昔から勉強はさっぱりダメだものね」
「もー、ママまでっ」
ふんわりとまとめた髪を蝶の付いた飾りで留めると、女の子は姿見の前でクルリ一回転した。
「よしっ、カンペキぃ」
「気をつけてね。遅くならないのよ」
「分かってるって。行ってくるねっ!」
薄紫の巾着を掴んで慌ただしく出て行った娘を見送って、母親はふふ、と小さく笑いを溢した。
「更紗がデートなんて、お父さんが生きていたら、なんて言うかしらねぇ……」
人差し指の腹でボクの頭をツンと小突くと、母親はカーテンを引いて娘の部屋を出て行った。
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