怪我と一条と

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朝、鳥の鳴き声と共に目が覚める。 いつも新太が寄りかかって寝ている壁は空白のままだ。 「新太?」 呼びかけても返事はない。 厠にでも行っているのだろうか。 布団を畳んで、しばらく待つが帰って来る様子がない。 仕方ないな。 俺はみつさんにもらった草鞋を履くと厠に向かった。 長屋のみんなが起き始めるのはまだあと少し先だ。 裏通りは静まり返っていた。 まるで、俺以外誰もいないみたいに。 厠に向かう曲がり角を曲がって、俺は首を傾げる。 厠の戸は全て開いている。 新太がそこにいないのは明白だった。 朝には帰ると昨日は言っていたのに。 こんなことは初めてで少しさみしく思う。 いつもなら、夜出ていっても気づいた時には帰ってきていて寝ているのに。 もしかしたら、仕事が長引いているのかもしれない。 うん、たぶんそうだ。 頭に少し違う考えが浮かんだが、縁起でもないと頭から追い出す。 あの新太に限ってそんなことは無い。 弥彦は長屋の部屋に戻ると木刀を掴んで河原に向かった。 そのうちひょっこりなんでもない顔をして帰ってくるはずだ。 俺はいつも通り、河原で鍛錬でもしていよう。 そうして、河原で一汗かいて戻ってきても、新太が戻ってきている気配はなかった。 かまどに火も入っていないし、何より新太の履物が無い。 帰ってきていないのは明白だった。 とりあえず、とかまどに火を入れて米を炊き、味噌汁を作る。 いつもは二人で作っているから一人でやるとなると少し難しい。 新太には今度、罰として表の店の菓子をねだろう。 いつもより、少し時間はかかったがなんとかご飯と味噌汁ができて茶碗によそう。 新太はまだ帰ってこないのか。 飯が冷めてしまう。 もう新太なんか知るか。 そう思い、一人でご飯を食べ始めた。 食べ始めて気づく。 一人とはこんなに寂しいものだったのか。 目の前にあの憎らしい顔がないだけでいつもはうまい飯もなんだかうまく入らない。 新太が早く帰ってこないか、戸の方を何度となくちらちらと見てしまうが、戸は開くそぶりがない。 じゃあ、行ってくる、と斜向かいの男の子が寺子屋へ向かう足音がする。 俺もこの時間ならとっくに寺子屋に向かって歩いている時間だ。 今日は一人で飯を作って食べたから、いつもより時間がかかってしまったらしい。 新太のせいだ。 今度絶対に高い菓子をねだってやる。 早く片付けて俺も寺子屋に行かなきゃならないのに、なんだかモヤモヤしてその場から動けない。 こうなったら、寺子屋には少し遅れてもいい。 素振りをしよう。 それであの冷たい川の水で顔でも洗えばスッキリするだろう。 いつも通りに上手くできたはずなのに美味しくない飯を口に詰め込んで、茶碗を流しにおく。 洗うのは後でいいだろう。 今は少しでも早く体を動かして、このモヤモヤをどうにかしたかった。 木刀を持ってもう一度河原に向かおうと戸を開ける。 「あれ、弥彦。寺子屋は?」 振り向くとそこには洗濯物を抱えたみつさんがいた。
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