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神山さん
転職先は割と居心地のよさそうな職場だった。人間関係もほどよい距離感で各自自分の仕事を淡々とこなしていくという感じ。ハラスメント系は今のところなさそう。
結仁さんに言われたからというわけではないけれど、転職してから四宮社長の動向にはどうしたところで目が行く。
「筒香さんって、もしかして社長狙い?」
そんな私の様子を思いっきり勘違いしてくれる方が現れた。
「はい?えっと、そんなことは。それより神山さん、もう出社して大丈夫なんですか?」
神山さんは四宮社長の秘書を担当されているてきぱき系やや圧が強めのちょっと取りつきにくいお姉さま。入社早々、彼女が突然1週間不在という事態が発生して、そのアシストをさせていただいたのがこの私だった。彼女のサポートをすることになった理由はいたってシンプル。私が入社したばかりで時間調整がつきやすかったから。他の人は自分の仕事があったし。神山さんからの電話とメールで、彼女の不在をのりきった私を褒めたくなった先週だった。
「筒香さん、お世話になりました。どうかしら?ランチでもご一緒しない?お礼も兼ねて」
神山さん自身はさっぱりした感じで嫌な印象もなかったから、ランチをご一緒することにした。ランチタイムにわざわざ自己紹介もしてくれて、神山さんも実は転職組で、年齢は5歳年上のシングルマザーだということが分かった。てっきり小さなお子さんかと思っていたら中学受験を検討中と言われ、驚いた。見た目から私とそんなに年齢が変わらないと思っていたのに、人生経験でもかなり先を行っている気がする。
「急にランチに誘ってくるから警戒した?」
「いえ、そんなことは」
「で、筒香さんはズバリ社長狙いなの?転職してくる人に結構多いのよね」
その質問に、やっぱり結仁さんのスパイは私が初めてではないと確信した。
「それはないです。社長は、よく仕事をする方だなぁとは思いましたけど。1週間のスケジュールでどんだけの仕事量をこなすんだろうって、正直驚きました。あんなに仕事していたら、プライベートとかなくないって思うくらいで」
「社長は仕事も趣味だからって」
「社畜」
「言うわねぇ」
私が転職した会社は、海外の有名レストランを日本に紹介したり、日本のレストランの海外進出を手伝ったりするコンサルみたいな会社。たまに直轄でレストラン経営もしているらしい。私の現在の仕事はパテント関係。契約書まわりの仕事を担当している。まだ独立した法務部門があるわけじゃないから、総務部の下に置かれているのが現状。神山さんの秘書業務も同じく総務直轄だったから話をしたりする機会は今までにもあったにはあった。たまにだけど、神山さんがお子さんのコロナ罹患による長期休暇を取らざるを得なくなる前にも彼女のアシストにまわるときもあったくらい。秘書の仕事は社長の都合に振り回されることも多いから、二人でランチなんて機会は今までになかったのだけれど。
「この会社、四宮社長になってから会社の業績は右肩上がり」
「スゴイですねぇ」
「筒香さん、ちっとも気持ちこもってないわぁ」
神山さんの第一印象は合理的で冷たいイメージだったのだけれど、一皮剥けばそれは時間を効率的に仕事をするために最善だからということらしい。
煩わしい人間関係をさばいていないと、社長のスケジュールを必要以上に詰め込もうとする社員もいるからとも言っていたかな。
「社長狙いで入社してくる女性が多いのも本当なのよね」
「私、それはないです。生きていくうえで、お仕事は必須。給料を頂く以上、ちゃんと働くが私のポリシーです」
「その姿勢は、好感もてるわ」
思ったよりも話がはずんだこのランチ、神山さんが仕事を肩代わりしてくれたお礼ということだったので素直に奢っていただくことにした。彼女の不在中、私が彼女の秘書業務を割と無難にこなしたから、神山さんに気に入って頂けたらしい。それは一重に彼女の指示が的確だったからだけなんだけど。
「もし私が会社を辞めることになったら、私の後釜にはあなたを推薦するわ」
「神山さん、辞めるんですか?」
「辞めないわよ。私だって子供を扶養していかなきゃいけないんだから」
「驚かせないでくださいよ。神山さんの仕事の幅広さ、1週間だけでも十分分かりましたから」
「でもちゃんとこなしたじゃない?それも社歴の長い社員が驚くくらい」
「たまたまです。前職でもそういう細かい仕事ばかりしていたので」
前職が法律事務所でいろんなバックグラウンドの個人客に対応していきたのが功を奏したのか。結局、司法試験は受かっていないけど。
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