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「私が鞄を落としちゃったんです」
落とされたとは犬飼さんは決して言わなかった。
「それを犬飼さんの代わりに筒香さんが鞄を拾うためにプールに飛び込んだと。いくらなんでも夏にはまだ早いんじゃない?」
保健室の先生は、ずぶぬれになって小さく震える私にタオルを渡しながら、犬飼さんの言葉を引き取った。
「私が勝手に飛び込んだんで」
最近は6月の初旬でもかなり気温が高くなってきているとはいえ、今日に限って気温は肌寒かった。梅雨寒って感じで。学校に来るのにわざわざバスタオルを用意してくる奇特な生徒はいない。鞄を引っ張り上げて、プールから上がった私に外気温は冷たかった。さすがそのままは帰れず、タオルがありそうな保健室に直行することになった。保健室の先生は私を見ると瞳孔が少し大きくなり、すかさずタオルを私に渡してくれた。さすがに、ある程度の事情は説明せねばならないこの事態。さて、どう説明すればいいものかと考えていたら、犬飼さんが口を開く方が早かった。
保健室の先生も犬飼さんの言うことをそのまま素直に飲み込んでいいのか躊躇しているのがなんとなく分かった。というのも犬飼さんはこれまでにも保健室を何度か利用する実績があったからだ。表向きは体調不良だけど、保健室登校とも言えなくもないくらい頻度が上がっていたから。
「察するに、二人は大事にしたくないわけだよね?」
沈黙する私たち。
「なぜかたまたまプールサイドを歩いていた犬飼さんが不注意で鞄を落として、そこにたまたま通りがかった筒香さんが代わりに鞄を水の張ってあるプールに飛び込んで拾ってあげたと」
「そうです」
私が速攻で答えると、犬飼さんも頷く。
「それで犬飼さんはどうやって帰る?そのままじゃ帰れないでしょ?ドライヤーぐらいじゃ乾かないんじゃない?」
白衣の先生がつっけんどに聞いてくる。
「そのことなら、さっき家に連絡して、着替えと迎えを頼んだので」
どうやら犬飼さんが事態の収拾に動こうとしているようだ。
「筒香さんもそれでいいの?どっちにしろ私は担任に報告しなきゃいけないんだが」
先生が私たちを交互に見ている。
「私は別にこのままでも帰れますし」
「そのずぶぬれ状態で?いくらなんでも目立つし風邪ひくよ」
「教室に鞄取りに行かなきゃなんで、体操着とかなんかに着替えればどうにか」
「筒香さんの鞄は私が持ってきます」
犬飼さんが軽く挙手をしながら言う。犬飼さんが教室に行くと、また面倒なことになりそう。
「ここは私が行った方がいいんだろうね」
白衣を着た先生がおもむろに立ち上がる。
「もしこれ以上のことになりそうなら、さすがに黙ってられないけど?今回は見逃す」
「ありがとうございます。その時はきちんと相談します」
犬飼さんの言い切りに溜息をついた先生は保健室を出ていった。
犬飼さんのスマホが振動している。電話をとった彼女は「もうじき車がつくので」と私に言うと保健室から出ていった。
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