1 金曜日 21時 飲み会は早退

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1 金曜日 21時 飲み会は早退

 会社帰り、友人の経営するバーで、飲み会をしようと集まって、小一時間。女子会の盛り上がるボックス席で、一緒に飲んでいた友人に、バイトのバーテンダーが耳打ちに来た。  迷惑な客がいるらしい。好奇心で見に行った私が見つけたのは、とぐろを巻いた、親友の倉持(くらもち)だった。暴れたり、眠り込んだりはしていないけれど、バーのカウンターに突っ伏して呪詛を吐き続けている。   「カナ、本当に大丈夫? 警察呼んでもいいんだよ」 「大丈夫、大丈夫。本当に私たち、高校では親友だったんだ」  倉持は、そこだけに反応してぴょこんと頭をあげて「厨川(くりやがわ)と俺が親友だなんて事実はない!」と主張したけれど、また元の項垂れるポーズに戻る。店は連休前のかきいれ時、ここに置いておいたら迷惑になる。 「なんか、めんどくさそうな人だね」 「あー、へいき、へいき! いつもこういう感じだから。飲み会抜けてごめんね。みんなには、また集まろうねって伝えて。ほら、行くよ倉持」    倉持を引き受け、店を出たのはまだ九時頃。連休前夜、人通りは多い。  頼むから、こっちに体重をかけないで欲しい。おろしたてのパンプス、エナメルだから、縁石で擦りたくないのに。   「いいか、そこ行く人、よく聞くがいい! 性欲の絡まない恋愛など、夢物語なのだそうだ!」  腕まくりで通行人を指差して、講釈を垂れようとする倉持を、ずるずると引き摺る。筋肉質で重い。 「倉持、もうオッサンなんだから、通りで喧嘩売るのはやめな」 「厨川と同じ歳だ、オッサンとは言わせないからな」  高校以来、十年近く連絡は途絶えている。  記憶の中の倉持は、もう少し可愛げのある見た目だった。  高校の時より饒舌で、よく通る声で、文句を言っている倉持からは、うっすら整髪料の香りがする。非常にオジサンくさい。   「心の交わりだけで恋愛は成立するって、お互い、そういう関係を目指していたんだよ! 俺は、本当に残念だ、残念なんだよ! 俺となら一生平和に暮らせそう、だと? 平和を壊した奴の言葉じゃないだろ」 「やめてぇ。大声で叫ぶのは、やめてぇ」    自暴自棄な様子で立ち止まった倉持は、大の字に手足を広げる。あれだ、ヒーローが世界中から元気を分けてもらう時のポーズだ。   「そうだよ、皆さん、ご存じの通り、俺は童貞だ! 約束通り節度を守って、彼女との未来のために幸せを目指してきた。それが、やっぱり愛と性欲はセットだとさ! 挙げ句の果てに、俺に『がんばって』ってなにをだよ」  演劇じみた大きな身振りは、道行く人をびっくりさせる。   「ほら、道行くみなさんに、ごめんねってしようね。変なこと聞かせてごめんなさいね~、振られた酔っ払いですから、お察しくださいねー」 「違う! 俺が振ってきたんだ。寝取られたからじゃない、二人で作り上げてきた理想的な関係を反故にされたから憤慨している。あいつ、精神的友愛より、性愛を選んだ!」    何を言ってるのかは、よく分からない。  私は管を巻く倉持の頭を押して、道行く人たちに頭を下げさせて、その場を離れる。  不憫な失恋人に対する視線は、皆少しあたたかい。「がんばれよ!」って声援も聞こえた。   「意外と倉持みたいのが、さっさと結婚しちゃったりするのかなって、思ってたんだけどな」    倉持はついさっき、彼女が男を部屋に引き入れている場面に遭遇して、着の身着のまま、飛び出してきたらしい。 「厨川に、俺の気持ちなんかわかるか!」 「やー、あーし馬鹿だから、高学歴童貞の気持ちなんて、全くわかんないかなぁ」  少しカチンときたから意地悪で返せば、倉持は憤る。   「馬鹿にしてるのか? 俺は騙されないからな。高校の時、お前がやたら俺に話しかけてきたのだって、キモオタに対するボランティアだったんだろ? わかってんだよ、オタクに優しいギャルなんかいるか!」    偉そうなことを言うなら、まっすぐ歩いてほしい。  さっきからカピカピのワックスが顔に刺さって、痛いんだよね。 「何言ってんの、親友だったじゃん。放課後、たくさん喋ってた! おかしもわけてあげたし、買い物とかも一緒に行ったよ、ああいうの親友っていうんだから!」 「あんなの、ただ俺が連れまわされてただけだ」 「そうかなぁ」    そんなことない。倉持は私に対して、超ド級のツンデレだった。  希少な考古ボーイだった倉持は、別に、人間関係に飢えたボッチじゃない。 日本中にネットを通じて知り合った、難しい話をする友達がいたし、会いに行ったりもしていた。    高校では多少浮いていたけれど、私の他にも友達がいたと思う。  苦手な人とは適度に距離を置くし、付き合いが悪いと言われても気にしない。  話す人を選ぶことができる立場だった倉持に、追いはらわれなかった私は、絶対に特別だった。  面倒そうな振りはするけれど、話しかければずっと喋り続けるし、買い物について来てと頼んでも、無下に断ったりもしなかった。それどころか、化粧品売り場でも、香水コーナーでも、下着コーナーでも、ぶつぶつ言いながらもついてくる。  ツンデレすぎて、ついぞ私を友だちと呼ぶことはなかったけれど、嫌いだったはずがない。 「私が作った友チョコ、おいしそうに食べたくせに……なんか腹立つな」 「そうやって、お前は恋愛偏差値の低い奴らに、誤解を植え付けていくんだ。どうしてこんな時に俺の目の前に現れた!」  賢そうな事しか言わなかった倉持も、失恋とアルコールには勝てないらしい。弁の立たない倉持に、八つ当たりされたって、怖くない。 「そっちが私の友だちの店で酔っぱらってたんじゃない。あーめんどくさい! これでもくらえ」  ネチネチと呪詛を吐く横顔に、ぶちゅっとしてやる。私だって、さっきまで飲み会の最中で、多少酔っ払ってる。 「なっ……な、な悪質なセクハラだぞ! 訴えるぞ!」    倉持はおぼつかない足取りで、頬を押さえてのけぞった。  訴えるぞ、なんてドラマ以外で初めて聞いたけど、スーツと七三メガネにはよく似合う。   「いいけど、その代わり、一人で帰りなよ」 「うう……訴えるし、一人で帰る!」    倉持は、ここがどこで、どっちに向かっているのかもわからないくせに、よたよたと私に背を向けて肩を怒らす。 「でも、帰る先って、彼女名義の部屋なんでしょ?」と問えば、動きが止まった。そのまま、糸が切れたようにアスファルトに膝をつく。   「俺が帰る場所なんかない……この世界のどこにも――異次元にも異世界にもない! タイムスリップしても無い!」 「よしよし、可哀想だなぁ」    カピカピの頭を撫でてやれば、どんどんと勢いが無くなっていく。   「……あいつら、何でリビングでヤッてたんだよ――俺が買ったソファ……いい色だねっていったから、あの色にしたのに――」 「相手、彼女さんがずっと前から好きだった人だったんでしょ? もう仕方ないじゃん。ほら、立って! 訴えないなら、うちに泊めてあげるからさ」    垂れ流している細切れの恨みつらみを並び替えてみれば、なんともかわいそうな失恋譚だ。同情心が湧く。   「お前の情けなど無用だ」  武士みたいな口調で立ち上がったけれど、倉持の足腰は限界だったようで、またしゃがみ込む。 「行くとこ、ないんでしょ? 連休でホテルはいっぱい。休み明けじゃないと不動産屋さんだって開いてないし」 「……」 「ほら、いくよ。大人しく歩いてくれたら、いじめないから」 「あまり近づくなよ」 「文句言うなら置いてくよ」 倉持は、ぶつぶつ言いながら、頑張って歩いた。  
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