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10 金曜日 曇りのち晴れ
「……はい、厨川です。けど、それがなにか?」
私を知っていたみたいな言い方だ。
ユカリさんは、落ちついた表情を崩して、倉持の背を叩く。
「言ってくれたらよかったのに」
「言う必要あった?」
倉持は面倒そうに目を細める。
「あるでしょ! 知ってたら、来なかったわ」
「そうだよね。ユカリ、最高に間が悪い」
私の友人最後の訴えは、なかったことにされたのか、倉持とユカリさんはコソコソ話を始めてしまった。
大きく空振りしてしまった私の気持ちはぐちゃぐちゃで、恥ずかしくて、悔しくて、悲しくて――。
「私、倉持とはここで、さよならなんです! でも、あなたが、ちゃんと倉持に謝ったのを見とどけないと、送り出せません」
今度は倉持も驚いた顔をしている。
ユカリさんはオロオロと私と倉持を見比べて、首を傾げる。
「さよならって……ケイ、この人、あの厨川さんなんでしょ?」
「今さっき行き違いがあって、誤解を解こうとしていた厨川だよ」
「え、私、そんなタイミングで来ちゃったの?」
二人して苦笑いをしているけど、私はずっと蚊帳の外だ。
「引っ越し先も教えてもらえない、ただの知り合いの厨川です!」
拗ねた声で、最高にカッコ悪いことを叫んでしまった。しかも、自分で口にした言葉に傷ついて、鼻の奥がつんとする。
倉持が大変な場面なのに。
まずはユカリさんを謝らせる方が先なのに。
私が先に泣いたらいけないのに、涙が出てくる。
「厨川さん、あのね、ケイには、電話でたくさん謝ったの。卑怯な行動を心から詫びたわ。本当に、私が悪かったの。ケイをたくさん傷つけてしまったから」
「本当に、ユカリのことはもういいんだって。謝られ過ぎて、とっくに消化できてる」
「そう……なの?」
時間差で、空回りをしたダメージが返ってきた。私は、慌てて頭を下げる。
「ユカリさん、ごめんなさい。余計なことを言ってしまって」
「余計なことじゃないわ。私が悪いの。厨川さん、頭をあげて。ケイの為にありがとう」
ちゃんと笑って送り出そうと思ってたのに、萎んだ気持ちが邪魔して上手く笑えない。こすって鼻が赤くなって、本物の道化みたいに見えるだろう。
顔が見えないように、さらに深く頭を下げる。
「二人とも、もう時間だから行って。引っ越しのトラックが着く時間だよ」
結局私は、ものすごく中途半端なお別れをすることになった。
「ああ、4時か」
倉持は腕時計を見て、玄関の方を見る。立ち上がろうとする倉持を、ユカリさんが引き留める。
「ケイ、待ちなさい! そんなことより、厨川さんに新居を教えてないって、どういうこと? 事の重要さをわかっているの? あなた、厨川さんに受け入れてもらえなければ、もう誰とも付き合えないんで――」
「――ちょっ、ユカリ!!」
バンとローテーブルに手をついて、倉持がユカリさんの話を遮った。
ユカリさんもハッと凍り付いて、形容し難い顔でこっちを見ている。
「え、今、なんて――?」
(私が、倉持を受け入れなければ――?)
ユカリさんは小ぶりな手をバタバタさせて、慌て始めた。
「ケイ、もしかして、まだ……」
「なにも言ってない。言えるわけがないだろ」
「あ、あ、あ、ごめんなさい……どどど、どうしよ……てっきり」
小動物のような仕草で困り切っているユカリさんに、倉持は玄関を指し示す。
「ユカリ、ほんとに、もう帰って」
ユカリさんと一緒に、私も玄関の外に出されて、慌ててサンダルを履いた。
ユカリさんはぺこぺこと頭を下げながらエレベーターの方に去っていって、倉持は片手で眉間を押さえたまま、グイグイと私の背中を逆方向に押す。
よくわからないうちに通路を移動させられて、三階の通路の端っこまでやってきた。
「310」
倉持はそう言って鍵を取り出して、私に手渡す。
うちの鍵と同じメーカーの鍵を、恐る恐るまわせば、錠の開いた手ごたえがあった。
ドアが開くと、まだあまり家具が置かれていない室内が、西日で明るく光っている。
水気のないキッチンには、新品のコーヒーサーバーと、あの喫茶店のコーヒー豆が置いてあって――。
「え! ここ?」
今さっきの大混乱も忘れて、驚きの声をあげると、倉持ははにかんだ笑みを浮かべた。
「角部屋が空いててさ――驚かそうと思って、黙ってた。変に誤解させて、悪かった」
何も考えられずにぼーっと立っていると、倉持が私の顔を覗き込む。
「迷惑だった?」
とっさに言葉が出なくて、首をぶんぶんと振る。
「いつもやかましいのに、住所を聞いてこないから、心配してた」
「倉持こそ、全然教えてくれないし。物理的に距離を置かれてるし、もう友だちは終わりなんだと思ってた」
倉持は困ったように頭を掻く。
「あー、それか。近いと触れそうになるから、気をつけていたのが、裏目に出たな」
倉持がぽんと私の頭に手を置く。
久しぶりに触れた倉持の手は、落ち着く温かさだ。
「そっか……倉持と、ご近所さんかぁ」
それまでのモヤモヤがまとめて消えていく。安心したら、自然と口角があがる。
「片付くまでは、そっち泊めて」
「いいよ、いいよ、引っ越し祝いしよう! ピザ、ピザとろう!」
「それと、厨川、さっきの話――」
「……あ」
どうしよう、私は本当に倉持のトラウマだったんだ。
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