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3 土曜日 晴れ 掃除した
倉持は二日酔いの頭を抱え、ベッドから起きようとしない。
「薬と水、飲んでないじゃん」
「……ほっといてくれ」
「ダメ、一度、起きな」
のろのろと頭を起こした倉持からは、まだアルコールと煙草の匂いがする。
「煙いから、シャワー浴びてきてよ。着替え、元カレのでよければ使って。パンツはさっきコンビニで買ってきたから」
ゆっくりと動き始めた倉持は静かだ。毒を吐いていた昨日に比べて、落ち着きをとりもどしている。
倉持をシャワーに追い立てて、スーツはクリーニングに出してしまおう。
「他に足りないもの、ある?」
出がけに脱衣所から倉持に声をかけると、くぐもったうめき声が聞こえた。
「なに?」
「ぐ……シャンプーが……」
「ね! いい香りでしょ! うちの会社の製品だよ」
「――別のあるか? 石鹸とかでいい」
「そう? 二日酔いにはきつい香りだった? 大丈夫、無香料のもあるから」
私は洗面所のストックから、開発製品のサンプルを取り出して、浴室のドアを開けた。
湯気の向こうに、綺麗に鍛えられた背中が見える。フィールドワークは体が資本だと、ジム通いしていたのは、今も続いているようだ。
顔だけこちらに向けた倉持は、私を見て驚愕の表情で固まった。
「あ、開けるなって! そこに置いとけば、自分で取るから」
「別にいいじゃん……お、倉持、いい尻!」
倉持は背を向けたまま、後ろ手にひったくるようにしてシャンプーを奪う。
「し、め、ろ!」
ガチャガチャ音を立てながら、内鍵を閉める音がした。
「ワックス、ちゃんと落としなね」
倉持は大学に務めているらしい。何だってあんなオジサンコスプレして、仕事してたんだろ。
*
私がマンションの隣のクリーニング屋さんに行っている間に、倉持はさっぱりした様子でリビングのローテーブルの前に座っていた。
スウェットを腕まくりをして、頭を拭いている倉持は、ちょっと可愛い。
長い前髪から見える、色の濃い瞳は、昔と変わったようには見えない。
「……彼氏、でかいんだな」
「元カレだってば。バスケとかやる人」
「袖が長い……」
さがってくる袖と闘いながら、頑張って髪を拭いている。
「倉持、萌え袖、可愛いね。頭、拭いたげようか」
「いいよ、自分でやる」
記憶の中の倉持になったのが嬉しくて、タオルを取り上げた。
洗った犬を拭くように、くしゃくしゃと髪を乾かしてやると、低く唸る。
「ほら、若返った! 前髪あったほうが可愛いって!」
「可愛いって、連呼するな」
互いに二十代も後半だけど、変な髪型じゃなくなった倉持は、可愛いのカテゴリーにはいるのだ。カールの強い髪に濃くて長い睫毛、マスカラで頑張らないでこれって、羨ましい。
「二十代で助教なんてすごいじゃん。ずっとポスドクの人だって、たくさんいるのにさ」
「運良く欠員が出て。でも、若すぎるから、学生に舐められるんだ」
「この歳で助教とか、モテそうなのにね」
「恋愛対象にされると仕事に差し支える。それに、彼女もいたし、モテる必要はなかった」
「――あ、ごめん。過去形つかわせちゃったね」
倉持は表情を曇らせ、がくりと頭をさげた。
自分から別れを告げたとはいえ、傷は浅くないのだろう。
「あの、昨日の話だけど」
「その話はしたくない」
とりつく島もない。仕方がないから、話題を変える。
「ええと、倉持、仕事はいつから?」
「連休中は休み」
だめだ、暗い。
そして、倉持に嫌われてる疑惑を思い出して、気まずい。
ここは、全力で機嫌を取ってみようと思う。
一度途切れた関係だけど、出来ることなら、高校の時みたいな親友の関係を再構築したい。懐かしい、あの頃は良かったなんて、言うのは嫌だ。
「血糖値さがってるんだよ。なんか甘いもの飲みなよ。ラムネ食べる? 氷砂糖もあるよ」
「駄菓子ばっかりだな」
「落ち込んだら糖分でしょ!」
お気に入りのお菓子ボックスを持ってきて、倉持の口に無理やり菓子を詰め込む。
嫌がりながらも、もそもそと咀嚼するその口に、続けて押し込めば、無言で睨まれる。
「ほーら、もっとお食べ」
「やめろ。ラムネは口の中の水分が全部取られる……」
私は慌てて、お茶を用意した。
倉持は出ていくとも言わずに、大人しくお茶を飲んでいる……よかった、甘党なのは変わっていないみたい。
私は、倉持を引き留めることに成功した。
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